自分らしく生きたい

自分の体験が誰かの生活のヒントになったらいいなと思います

ピル休薬期間の鬱

9月29日

 

 

 

久々に、キーボードを出してiPadに日記を書いてみる。先日彼とも話したけれど、八月は長かったけど九月は短かったような気がする。暑い暑いとばてていたら、なんだか過ごしやすい日がポツポツと出てきて、気持ちいいね、やっぱり秋がいいね、いや僕はもっと寒くなってほしい、早く冬が来てほしい(彼は冬が季節の中で1番好き)などと軽やかに話し合ったり、仕事に行ったり、休んだりしているうちに9月も末になった。

 


いや、よくよく振り返ってみたら、そうやって気候の和らぎとともに平和な丸1ヶ月がすごせていたわけでもなかった。特に今日は気分が落ち着いているし、ここ数日も楽しいことが多かったのでもう忘れていたが、ピルの休薬期間にひどいPMDD鬱が発症し、自責や焦燥感に苛まれていたのだった。鬱が落ち着いても今度は体が(今回は主に胃が。呼吸が浅く、息を吸うとえずいてしまったりした。)苦しい日が数日続いた。鬱の間、自分のこれまでの行いのどれもが失敗で、だから今の自分はひどくみっともない大人にもなりきれないダメな消えたって構わない人間で、こんな自分では将来もきっと不幸が待っている、あの人に言われた嫌な言葉、あの人に言ってしまった嫌な言葉、辛いことばかりが頭を埋め尽くす、そんな時間に苦しんだ。ちょうどその期間に彼が帰省中で不在で、私は狂ったように(いや実際狂っていたのだ)彼に連絡をして呆れられてしまい、絶望して涙を流して疲れて眠って、翌日猛反省して図書館にこもって熱心にセルフケアの本を読み漁ったりしたのだった。

 


面白い本を見つけた。酒井順子さんの男尊女子という本で、私は女性学の第一人者である上野千鶴子さんに続き、酒井順子さんのファンになった。酒井順子さんについてはその鋭い発言にただ感化されるだけでなく、単純にエッセイが面白くて、つまり文章がうまくて、彼女の文筆家としての性格の魅力に夢中になって読み進めた。

 


西加奈子さんの夜が明けると、小川糸さんのライオンのおやつも同時に読み進めている。やはり、私は西加奈子さんの描く小説が大好きだと思った。ライオンのおやつも、大切に大切に読んでいる。小川糸さんの本は、母との思い出の本もあって、糸さんは私を優しい気持ちにさせてくれる作家さんだ。でも今日は西加奈子さんの本について。登場人物の歪んだ性格、そうならざるを得なかった特異な環境の描写、平凡ではない、もちろん私のみたことも経験もしたこともない描写が決してありえなくないと思える、この世界のどこかにはこうやって生きている人がいるのだろうと鮮烈に想像できてしまう「人間」のリアルな表現というのか、そういうのがものすごくうまいと思う。美しいだけでないむしろ気持ち悪い彼らの生き様こそが妙に気になって、のめり込んで読んでしまう。

 


今朝は大人二人の何日か分の洗濯を回して干して、それからは昨日掃除・整頓済みのすっきりとしたお気に入りの自室で、そうやって夜が明けるを熱心に読んでいたのだ。

 


PMDD鬱の前後は、やはり就活すべきかと仕事について真剣に悩んでいて、実際に就活サイトで(自分の経歴や特技を載せておくとオファーが来るもの)気になった企業とやり取りまでして、面接の日程調整まで進んだものさえあったのだが、鬱が落ち着いたタイミングで帰省中の彼も帰ってきて、それからすぐ連勤もあったので、鬱前後で思考から生活リズムまで全く変わってしまい、またもや就活についてはパタリと進捗が途絶えてしまった。

 


そんなふうに、今日は呑気に本を読んでいたわけだが、本なんて読んでいられない日もあって、就活のことで頭がいっぱいの日もあって、また別の日はイラストレーターになる夢に向かって熱心に絵を描いたりもして、どれも自分なのだが、微妙に、いや全然、別の自分なのであった。とにかく今日は、就活のことなど頭に1ミリもない。つまり今日の私は今の生活に十分満足していて、将来に特に大きな心配もなく、幸せだなぁと思いながら暮らしている。

 

 

 

 

 

 

以下メモ程度の日記

 

 

9月15日

 


私らしく生きたいとおもう反面、私らしさとは何か苦心する日々。

 


やはり正社員として働くべきなのではないかと、突然焦って大胆に行動してみる日。

 


やはり私には休息が多く必要なのだと、平日の昼下がりに防災センターのロビーの涼み処でぼんやりする日。

 


今のままの自分では幼すぎると、成長しなきゃと、図書館にこもって情報収集に徹底する日。

 


精神的な支えとして彼氏を頼りにしてばかりではいけないと、いつになくストレッチやバランスの良い食事による健康法を熱心に試す日。

 


母と共通で好きだった作家さんの小説を読んで、涙を流し、母との思い出に浸る日。

 

 

 

8月20日

 


よく考えたらここ数ヶ月、夜眠れなくて困ることがほとんどなかった。今までより、格段に寝つきが良くなったように思う。春の間、仕事が忙しかったのもあってか、社会的に良しとされるリズムにうまく乗り込んで、その流れで今も休みであっても昼夜逆転を全くせず過ごせている。それに、生理前などは夕方にうまく昼寝をするようになった。(そうかいた2週間後にまた眠れない日がちょこちょこあったのでまだ不安定だ)

 


上京して、一人暮らしも一年経ったら、仕事、生活、収入、消費、食事、睡眠、休息…そういうのにかかる労力が、どれくらいのものなのかわかるようになって、多分生きるってこうことなんだと概要を掴んだ気がしたら、気持ちが楽になった。最低限、これだけあればいいのだと金銭的、内面的な、物量、質量が分かると、漠然と抱えていた将来への不安が和らいだ。

私を応援してくれて、理解してくれるひとが、増えたような気がした。それは私が、私を言語化して発信できるようになったからだった。学生の頃は、ただ黙って絵を描くことしかできなかった。言いたいことはあっても、その言い方がわからなかった。口に出すと、思っていることと違ってしまうのだ。だから本当は、思っていることが、なんなのかもわからなかった。言葉にできない気持ちが、喉に詰まって気持ち悪いから、代わりに絵を描いたのだ。