自分らしく生きたい

20代フリーター ブログ初心者

冬だ。冬がきた。

 


冬だ。冬がきた。

 

 

 

12月19日(火)

 

 

 

先の週末は気温がグッと上がって(気象学的になぜだったのだろう?)温暖なクリスマス前の素敵なお休みに、なるはずだった。私たちカップルは木曜日に彼が発熱、金曜日に彼がインフルエンザと診断され(熱が40.0度もあった!)続いて私も土曜日夜には発熱。かろうじて熱の引いた彼に看病してもらいつつ土曜日夜から月曜日朝にかけて寝込んでいた。

 


月曜日の夜には久々にお風呂に入ったり、お家で楽しくポケダンができるほどに回復し、そして今日は丸2日ぶりに外に出た。というのも年末に帰省する予定を立てたものの、新幹線の切符を未だ買っておらず、駅までの迎えや帰省ついでの予定で各所に連絡をとっていたにも関わらず、目標の時間に新幹線に乗れない事になってしまえば苦労台無しであると、慌てて買いに出かけたのだった。(ネットでは訳あって購入できず。不便。)

 


朝は9時半にバタバタと大学へ出かけていった彼の生活音で目が覚めて、なかなかに風邪っぽい感じ、喉も痛いし咳もでるし悪夢も見たしだるいし…という感じであったけれど、このままごろごろと布団にいるのもなんか気分悪くて、暖房をつけて朝ごはんを食べる事にした。咳に効く薬も飲んで、暖房が息苦しく感じたのですぐに出かけた。

 


まさに冬、年末年始って感じの空気にちょっと感動。弱く傾いた白っぽい日差しの感じ、冷えた空気、ほのかに温かい陽光、これこれ、冬ってこれだよって。動物園の裏通りを通って、不忍池弁天堂から上野の小山に真っ直ぐ登れる大きな石畳の階段をのぼった。その先にある清水の舞台に今日は寄ってみた。実はこのお昼時っていう時間帯に散歩をすることが少ないから、開門時間が決まっている場所にはなかなか行けずにいる。清水の舞台、すごく落ち着くいい場所だった。すっぽりと社と森に包囲されて、池の方に空が開けてそっちにスッと目線が伸びる感じ。確実に独自の空間がそこにあり外界とちょっと隔絶されてる感じがいい。こじんまりしてるのもいいフィット感。それと年末に向けて社務所がよく動いてて、巫女さんとかもいたりして、活気があっていい感じ。お正月の社務所の温かみすごく好き。お守りとかもいい感じに売ってて父にお土産に買って帰ろうかとも思ったけど、浮かれすぎだなと全体が見渡せるベンチで少し休んだら目的の駅へ再出発。

 


外国人が多い。特に平日の昼間だから人が多いなと思えばその半分くらいは外国人(かご老人か)。みどりの窓口に並んでいる間に結構汗をかいた。暖房効きすぎじゃね?代謝が促進される20分ほどのウォーキング後だったのもあり、汗をかきながら切符を無事購入。だいぶ席埋まってた。間に合ってよかった。

 


やっぱり病み上がりだから体力消耗が激しい。息がちょっとでも上がると苦しい。コンビニであったかいほうじ茶を買ったから池のベンチで日向ぼっこしながら飲んで休む事にする。

 


ひなた、あったけぇ〜〜〜。全身が、心までが、ほぐれる…。冷たい風で一気に冷えてしまった汗を日向ぼっこで温め直す。無事帰れるようにエネルギーチャージ。お腹が空いたから何か買って帰ろうかとか考える。外食しちゃおうか…悩んだ末に珈琲館でランチして帰る事にする。本当は(インフルエンザうつしちゃうかもだし…)よくないけど、咳鼻水はピタッと止まってるし…あったかくて美味しいお料理が食べたい気分なんだ、許してくれ。

 


珈琲館、最高だった。裏通りにあるこぢんまりとしたお店なんだけど、それがいい。外食は店内が程よく狭い方がハズレが少ないとここ最近の持論。ちょっと広いと信じられないくらいガヤガヤガヤガヤ人の喋り声を聞いているだけでどっと疲弊する。ここの珈琲館はいつきても厨房のマスターがかっこいい。この前は70歳くらいにもみえるけどどうなんだ!?という感じの渋〜いおじいちゃんマスター。今日は長髪をピチッと後ろにひとまとめにした小柄なお兄さん。とにかく手際がいい。ウエイトレスさんも手際が良くて必要最低限で上品な接客が心地いい。初めてカウンターに座った。マスターの手際の良さを目の端でとらえ、惚れ惚れしながら私のあつあつナポリタンが出来上がる様子を見て待った。ランチセットのサラダをちょうど食べ終えた時にお待ちかねのナポリタンがやってきて、ひとくち食べてその甘〜いケチャップ味に舌の全細胞がビビビッと反応した。美味しい〜〜〜と絶賛、ガッツポーズはリアルにしちゃってたかもしれない。病み上がりで全部食べきれるか少し不安もあったけど、目の前のマスターに誠意を見せるのだ!と黙々と口に運ぶ。無言の美味しいアピール。食後にはコーヒーなんかもいただいちゃって、一人前に珈琲館を楽しんじゃいました。私が食べ終わる頃にお昼の忙しさのピークが過ぎたようで、マスターと一緒にハンドドリップコーヒーのポタポタと雫が落ちるのを眺めながら、ゆっくりとコーヒーを口に運びながら、私はマスターたちの仕事ぶりに思いを馳せました。私も仕事人になるなら、きっとそれは絵を描くことに違いないのだ。大変でも、たまに面倒くさくても、そこから逃げたら仕事人にはなれない。スーパーのベテランおばちゃん店員さん、町中をリヤカーで駆けまわる配達員さん、丁寧な図書館の司書さん。毎日、毎日、逃げずに真面目にできることって、人それぞれにあるんだろうけど、私にとってそれは絵を描くことなんじゃないかなと願ってる。仕事にしよう、絵を描くことを。と、最近のスローガンを再び高く掲げてお会計へ。足取り軽く力強く、素敵なお散歩とランチができた喜びで清々しくお店を出ました。

 

 

 

 

絵を描くことと生きること/鼻歌を歌って生活するような

 

 

 

絵を描くことと生きること

 

 

12月11日深夜1時

 

 

10代のころ結構深刻に、でも内容は10代らしく、全力で病んでたから、絵とか描けたらきっと大人になっても楽しく生きられるんじゃないかって、現実逃避やら自己防衛やらのために絵の勉強を始めたわけなんだけど、絵を描いて生きるってつまり画家になるってことだとはずっと思えなくて、結局美大受験に落ちたのをきっかけに絵のお勉強は独学で、楽しくできる趣味の範囲内でって割り切って考えるようになった。それから3年余りが経過したんだけど、私が分からなかったのって絵を描いて生きるの「絵を描く」の方だけじゃなくって、「生きるの方」もだったんだな、いやそっちだったんだなって気づいたら、今だったら大人の心配する声とか、自分の中に渦巻く将来への漠然とした不安とか、跳ね除けながら毎日笑顔で生活できるって思える。絵を描いて生きることの、絵を描く難しさも、生きるの難しさもどちらもあって、それは一緒くたにはならないこと。絵は絵で、生きるは生きるで別のベクトルの苦労がある。

 


私は、生きることがすごく上手くなった。この1年間で強くそう思う。まず親元を離れて、一人暮らし、ご飯は自分で用意しないと出てこない。買い物に出かけるのも、買うのも、買うお金を用意するのも、買ったもの家まで運ぶのも、しまうのも、食べるのも、捨てるのも、掃除をするのも、全部、自分。そういうのって本当に、やってみないとそれがどんなものなのかわからない。大変さもあるけど、そこには楽しさとか生きがいもある。これが生きるってことで、一年でそれらは上達した。生きることが上達した。すごいことだ。

 


もともと、絵はある程度上手い。生きるを親任せに放っぽり出して、絵だけ描いてた訳だからそりゃそう。絵だけ上手いけど生きるのが下手なチグハグな状態から、生きる技が追いついてきたら、びっくりするくらい絵の方に伸び代が生まれた。もう絵だけで7年とか8年とかやってきて、私の実力はここまでかとほとんど諦めていたほどなのに、今は、私の絵はこれからだと希望を感じる。

 


親が子供に言って聞かせる場合の生きるって、お金稼ぎのことなんだろうけど、私はお金稼ぎが生きることだとは思わない。(もちろん親だってお金稼ぎが生きることだとは本当は思っていないだろうけど、でもどうしても子供に言うってなるとお金の話ばかりになるのはなぜだろう。お金以外、恋愛や友情は簡単に手に入るものだと思っているのだろうか。お金のない親に育てられて、お金をかけて子育てをしたバブル云々もありお金と共に社会を歩んできた世代だからだろうか。)私にとって生きるとは、何を食べてどこへ行って、誰と何をしてどこで何時に寝て…どんな気持ちで過ごすかを、自分の意思で選択して実行していくということ。自分の意思を持つということが、私の生きるということ。たくさんある選択肢の中で、自分がこれだ!と自信や希望を持って選択ができるための基礎知識を蓄える場所が学校で、卒業してからはその最善の選択を実行に移していく、大人になるとは、実行する人になるということ。何かを作ったり、任務を遂行したり、人や世の中のために明確なアクションを起こす人が大人。だからありきたりな言葉だけどお金は手段であって目的ではない。今の私にとってお金は、私の意思を実行するためにお金が必要になることもあるのでその際は社会貢献も兼ねて労働をしてお金を得る、みたいな感覚。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12月4日

 

毎日、鼻歌を歌いながら生活するような。

 

 

 

自分の生活が誰かに干渉されて成り立っていることが当たり前に思っている状態で、誰からの干渉も受けない時に、人は寂しいと感じるのだと知った。自分の中で発生する気持ちは常に誰かからの干渉で起こるものだと思い込んでいたけれど、自分の気持ちは自分1人でいても湧き上がるもので、それは自分ひとりの力で折り合いをつけなければならないものなのだと知ったし、その仕方が今ではわかるようになった。例えば家にいることが窮屈に思えば、部屋着に一枚羽織って防災センターの涼所(今は暖房のよく効いたロビー)で休むことにする。お腹が減ってきたなぁと思ったらなんか食べてみる。眠くなったら寝る、なんか、そういうことすらわからずに生きていたことを思い知った24歳。

 


思えば10代から、なかなか自立できずにいた23歳ごろまで、常にどこにいても私は父と母の子であり、家に帰れば姉妹がいて、そういう責任の所在とか自分の在処が常に家族の一員であるという感覚で、身の回りで何が起こっても他人事ならぬ家族事、私1人のことじゃなかった。それは難しい事柄は親に変わってもらえたということだし、気分の捌け口を姉妹に向けられたということ。自立したいとはあまり思わなかったのは、その生活がわたしにとって楽だったということ。

 


でも母が他界して、環境の変化も自分の気持ちの変化もあったりして、23歳と3ヶ月で強制的に自立しなければならなくなって、初めて1人で暮らすようになった。最初は干渉されない寂しさを感じたし、気分の捌け口が無くなって困ってた。だからそのどうしたらいいか分からない気持ちをブログになぐりかいてみたり、彼氏に泣きついて甘えさせてもらったりしていたけど、それも一年経って落ち着いた。自分の気持ちは自分で折り合いをつけるもの。誰からも干渉されないことが当たり前の生活に慣れれば、そもそも寂しいと思うことがない。(干渉力が弱いナチュラルな彼氏がいつも隣にそっといてくれるから自分の想像以上に寂しくないだけかもね。)ちょっとこれは結構大人になったのだと思った。この前姉がこっちに来てくれて一緒にモーニング娘。のコンサートを見に行ったのだけれど、その日は特別の日。特別に家族と干渉し合う日。もともと友達は少ないし、会社員もしていないので、干渉されると言えば家族だけ。私は結構すぐに1人の私の人生という生活に慣れた方なんじゃないかとむしろ思った。

 

 

 

私1人の人生という生活。月の半分だけ行くバイトとの距離感、休日は細々と作家活動をして、SNSでコメントをいただいたり、委託販売先でコツコツ商品が売れるファン(?)や仲間、他人との距離感。月10万円程度の収入、作家業でたまに入るお小遣い、ちょうど大人の人間がその日暮らしていけるだけのお金との距離感、似たもの同士恋人以上の彼氏との距離感、今なんかそういう自分と他との全部の距離感がちょうどよくて気分がいい。

 


だからこの気分のいい生活がなるべく長く続くようにしたい。

 

 

 

 

11月振り返り/フェミニズム勉強中

 

 

 


11月振り返り/フェミニズム勉強中

 


12月5日

 


そろそろ日記が書きたいなぁとiPadのメモを開いたら、前回の執筆から早くも1ヶ月が経過していて、ピルを飲み始めてから調子が良くなったとは言えここまで変わるか!とちょっと驚いた。月経前症候群の影響でクヨクヨ鬱々とした気分に苛まれて、(元を辿れば受験のこととか自分が身を置いている環境のこととか母の死のこととかとか引っ越して生活が新しくなったこととかいろんな精神的な負担があったんだとも思う)頭がぼんやりとして何にも集中できない、布団に横になって動けない…なんて日が皆無と言っていいほどになくなった。おかげで何もできないよりはマシだ(何かしていないと気がおかしくなるけどできることは限られている)と、日記を殴り書いていたあの時間も無くなってしまったわけなのだけどね。

 


11月は中旬にかけて、私にとって大きな依頼である山の作品を仕上げるために、休みのたびに絵筆をとっていた。ちょうど寒波が来てぐっと平均気温の下がったタイミングだったので、絵の気分転換に散歩がてらよくスーパーに行って、なんとなく冬っぽい食材を買ってシチューだのおでん風の煮物だのを作って食べて過ごした。ほぼ毎回休日は、絵描いて散歩して自炊して…という生活を繰り返していた。(冷蔵のレンチンでも食べれるうどんをアレンジして昼食にするのにハマったり。)18日ごろまでには山の絵はほとんど完成していたわけだけど、もっと絵が上手くなりたい欲、私って描けば描けるんだから(やればできるの描くバージョン)どんどん描こうよ!という自信とか勢いのようなものが生まれて、やたら机に向かう時間が長かったな、それが何日も続いた。本当に安定して生活できてた。ちょうど少しその繰り返しの生活が飽きてきたかなって頃に、超一大イベントであるモーニング娘。のコンサート2デイズがあって、初日の前日から夜更かししちゃって朝までハロプロ動画を見まくって、それから2日間どっぷりオタ活を楽しんでリフレッシュしてたね。そしたらいつの間にか12月になってた。

 


12月ってほんと過ぎるの早いね。今日が何日か分からず毎日過ごしてる。カレンダーを見ても予定が頭に全く入らん。毎日新鮮な目であと何日後にこのバイトがあるから明日はあれしてこれして…ってしつこくやってる。

 


最近読んでる本は、今1番興味のあるフェミニズムの分野を拡大して、女性の「仕事」に対する困難についての本。フェミニズムの読み物で言及されることが少ない、「女だけどバリバリ男並に働きますけど何か」って生き方を選んだ女性の、それでも女性だから受ける葛藤とか困難があるっていう内容で、新書だから論文をまとめたものになるんだけど、興味のある研究だから読んでてすごく面白い。もしも私が中高とエリートコース?を選んで、社会のためにそして自分のやりがいのためにかっこいい企業でバリバリ働くぜ!って大学も就活までもがんばり通した女子だったら、今ごろこんな困難にぶち当たってたのかって、結構リアルに想像しながら読んじゃう。ていうか社会ブラック企業(就労時間が長い)当たり前に存在しすぎやろ。やりがいの搾取蔓延りすぎやろ。ってまた頭抱える羽目になってるけどね。

 


どうしても大きな「成果」を出そうとしたり今までにない新しいことを始めよう!と挑戦する時って、相応の「時間」を費やす必要がある。それを「利益」回収が絶対にできることを条件みたいに企業はやるんだから、ある程度のスピード感って必要になって、そうすると人間がどう思おうが数字とか利益とかどうにもならないからなんとかしようって、一日中働きづめになってしまうんだろうなぁと想像するけど、(この資本主義社会の豊かになるために目に見えないものに人間が振り回されて疲弊している気味が悪い感じ)なんとかならないのだろうか。

 


以下、今読んでる『「育休世代」のジレンマ〜女性活用はなぜ失敗するのか〜 中野円佳 』に感化されて考えたことをつらつらと描いてみる。他、上野千鶴子先生の東大入学式祝辞、著書数冊、酒井順子さんの著書「男尊女子」などを読んで得たフェミニズムの意識。

 


私はとにかく休みがたくさん必要な、バリバリ働くなんて到底無理なほんわか右脳系おうちが大好きハンドメイドとかやっちゃって丁寧な暮らし系お嫁さん候補みたいな女子なんだけど、でもだからって難しいことはできませぇん男の子ってしゅごぃ〜かっこいい〜守ってほしい〜っていうのに成り下がってはいけないんだなって、ここ最近のフェミニズム学習で意識するようになって、自分のポジションの意外な塩梅の難しさ(ちょっとどっちかによると、あーそっち系ねってなる絶妙さ、お嫁さん候補系になるかフリーターもしくは作家で1人で独身で子供もいなくてかっこよく生きますみたいな強い女、か、※最悪ただのパラサイトシングル)を感じているわけなんだけど、そう思うと、私って地に足ついてないなぁってなんちゃって作家業のアルバイターをやりながら落ち込むこともあるけど、そもそも社会に女子の堅牢な立ち位置っていうのが確立されていないから、地に足のつけどころがないのかもしれないと、なんか思いついたから言ってみたり。ちょっといいこと思いついた気がするから以下深めてみたり。

 


お嫁さんになる❤︎寿退社❤︎なんていうのは古い考えで、フェミニズム的には完全にアウト。男の下について男を立てて一生を過ごしますっていう人生の主役引退宣言だからだめ。ちゃんと自分で自分の人生を生きなきゃ、もし夫がクズだって判明したりもう僕は働けませんって突然なった時、すごく困るよね大丈夫?ってフェミニズム的には口を酸っぱくして言われることなんだけど、私は田舎出身者だからお母さんはパートでお父さんがサラリーマンで(残業も休日出勤もない収入は200万ちょっとだけど土地は一応あるし持ち家だし畑もあって祖父祖母も元気だから十分生きていけるくらいの平々凡々のどかな会社に勤めていて)家にいる時間が長いぶんだけお母さんが家事を多めに担っていて(余った時間でハンドメイドとか昼寝もできちゃったりして)お父さんは日曜大工とか買い物に行く時の運転手とか休日は子供の遊び相手になってくれて…って、男に金銭面を任せるな!ってカリカリしすぎなくてもちゃんと幸せにもなれるんじゃないかってちょっと思っちゃう部分もあるけどね。

 


で、寿退社はしないとして、女のポジションとして次に、一般職とかやだ、やりがいのある仕事がしたい、やりがいのある仕事はしたいけど育児と両立できる範囲で…ってそんな職場どこにありますか?っていう葛藤もめっちゃわかるなぁ、会社員経験ないけど。なんか、まず一般職と呼ばれる補助系の単純な仕事って飽きそう…。やりがいを感じにくそうなのはなんとなく想像つく。あと事務系の職場の女社会ギスギスみたいなの想像するだけでノーローゼ。

 


で、なんか大人の女のいいポジションってあるかい?って話だ。世間的には女は一般職の仕事について育児と仕事を無難に両立するのが一人前の大人像なんだろうけど、(〇〇師みたいな専門系の仕事につくのはどういうポジションなんだろう?未履修。)それがフェミニズム的には、うーん、アウトより?なのかな、やっぱりそれは男を立てているよね。事務的な仕事が好きでやりがいを感じているなら問題ないけど、それしかなくて仕方なくやっているならアウト。24時間でつまらない時間が6時間も8時間もあって、それが人生の残り半分をゆうに埋め尽くすと思ったら、悲しい、私の人生やりきれないと思う。考えすぎなのかな。てか男性側はどんな思いがあるのだろうか、総合職とは実際にそんなにいい仕事なのだろうか。利益や成果、昇格降格、どのくらい意欲をそそられるものなのだろうか。満員電車に揺られて大変だろうに日々何を思って仕事へ向かうのか、つまり多少大変でも大丈夫なくらいに仕事にやりがいがあるってことなのだろうか。それとも女みたいに出産っていう人生これからにして超一大イベントがあったりしないから、別にあれこれ考えることが他にないから仕事いっとくかみたいな単純で疑問にも感じないほどの当たり前のことなのか。自分が男であるが故の立ち位置や与えられる環境に満足や納得をしているのだろうか。フェミニズムが論じられて女の生きずらさが顕になったのなら、逆に男の生きずらさも顕にしていかないと改善策見つけにくいと私は思うよ。同じ社会で生きてるから擦り合わせて落としどころ見つけて行きたいよね、知りたい。

 


大人の女のポジションの不確かさ、世間でもっと論じられてほしいなぁ。世間の論を耳にして一緒に考えたい。とりあえず年末に歳の近い従姉妹たちに会うから最近どうか聞いてみようっと。

 

 

 

 

 

"食“に振り回されがちな芸術の秋

 

 

 

 

 

11月4日(土)

 


秋の三連休2日目。基本土日祝といった世間の人々がお休みのタイミングで出勤の、接客業アルバイトをやっているはずが色々運など重なって丸っとお休みの三連休。

 


9時40分、モーニング娘。譜久村聖卒業コンサートのチケット争奪戦に参加すべく起床。元々望みは薄かったがやっぱり思った通りチケットは取ることができなかった。映画館でのライブビューイングの抽選に参加中なので当選していることを願って唯一無二最強のオタ友である姉との連絡をすまし、二度寝しようか悩むもすでに目は覚めきっていたので布団から出ることにする。

 


昨日蚤の市が十分に楽しめなかったことがショックで、まだ全然立ち直れていなくて、すぐに頭の中は昨晩に続き蚤の市の反省でいっぱいになる。食欲も湧かず、(冷蔵庫に目ぼしいものがなくてがっかりする)とりあえず頭のモヤを払拭すべく外に出て気分転換しようと決める。仕事の日はタイムリミットがあるので仕方なく最速で支度するのだが、制限がないとどうにもダラダラしてしまう。朝が弱いから思考も休みたいとかやっぱり布団に戻って横になろうかなとか非行動的な方向に引っ張られる。昨晩クヨクヨしすぎたからもうクヨクヨしたくないのにこの思考回路は危険、このまま家にこもっていては絶対だめだ!という危機感のもとテキパキと図書館に返却する本をまとめて、着替えて髪を軽く整えて外に出る。メイクは眉毛だけ。しかしこういう時、男の子だったらもっと支度が早く済んで楽なのになぁとつくづく思う。

 


図書館の利用は今日は軽くすまして、屋外にある木陰のベンチに座ってしばらくぼーっとした。パンと紅茶のテイクアウトのお店でクリームチーズとツナのクロワッサンを購入してから来ていたので、ロビーの自販機で水を購入して一緒にいただいた。パンの生地がサクサクですごく美味しかった。チミチミと小さなお口で噛み締めながらいただいた。パンのおいしさに幸福感で胃が満たされる感じがした。青空も風も、子供や家族がほんの数人グラウンドで遊んでいる声も、気持ちが良くて、ずっとそこに座っていた。

 


この三連休は夏日と呼ばれるほど気温が上がるとのことで、実際日差しがかなりあつい。ワイルドに半袖短パンの小僧がおったがそれで確かにちょうどいい温度。

 


スーパーで買い物して帰宅。お惣菜コーナーで買ったゆず味の稲荷ずしと豚汁をいただいた。稲荷ずしのあげがジューシーですごく美味しかった。豚汁も具沢山で満足感あり。いい昼ごはんになった。

 


眠気はあったけど、ここで寝ては生活リズム台無し!と硬い意志で机に向かうことにした。効率の良い作業ができなくとも、とにかく何か手を動かして、寝たりスマホに夢中になったりはしないようにしようと決めた。

 


ビーズを編むことにした。ゆっくりだったけど地道に手を動かしているうちに集中力が上がってきた。昨日の蚤の市で購入したアンティークビーズを使った新作の構想が頭をよぎったので、そのままの勢いで作り始めることにした。そうしたらすごく楽しくてすっかり夢中になって制作に没頭。やはりやる気は出るまで待つものじゃなくて、やってるうちに出てくるものだと再認識。3時間ほど経って目が疲れたので、時間もちょうど18時、炊き込みご飯を作ることにした。

 


炊き込みご飯は油揚げを鋏で切って窯に落として、手でさいた舞茸をフライパンで軽く炒めたらそれを最後に調味料を足した窯に入れて待つだけなので簡単。舞茸を炒めたフライパンで焼肉のたれを使った簡単照り焼きチキンも作って晩御飯の準備はバッチリ。

 


炊き込みご飯と照り焼きチキンを20時にいただいたら、流れるようにごろごろタイムに突入。今日はYouTubeに上がっている地上波のバラエティ番組を見たりした。(見たというか、こういうの意識しなくても目に飛び込んできて見始めるから、予定してなくて長々と見ちゃう。)渋谷凪沙ちゃんおもしろ大喜利まとめとか、鬼連チャンの面白いやつ。

 


だいぶ時間が経ってしまった。22時半、足が冷えたのでお湯に浸かることにする。YouTube釘付け眼精疲労の連鎖も断ち切りたかったし。

 


ダラダラタイムと入浴で完全に体がリラックス&リセットされて、もうひとがんばり作品制作ができそうな感じ。お気に入りの音楽(今晩はハロプロ✌︎。スマイレージアンジュルムを中心に。)を聴きながらノリノリで色塗り作業開始。こんなふうに深夜に謎に集中力が高まって、音楽を聴きながら自分の世界に没頭する時間って楽しいよね。1時半ごろまで描いて疲れたのでおしまいにした。

 


それからストレッチをして、スクワットやもも上げ運動、腹筋キープなど筋トレも軽くして(今日初めてももが攣りそうな筋肉が張った感じがストレッチ中にして、いよいよだな…と老化、運動不足による筋力の衰えについてさらに危機感を持った)なんか今日はいい日になったぞ…と感動して慌てて日記をつけたり、調子に乗ってこうやってiPadに文章まで打ち込んで、深夜の自分時間タイムを存分に楽しんだ。

 


3時20分、今日の活動終了。10時に起きたから結構長い活動時間だったな。寝ます。

 

 

 

11月3日

 


東京蚤の市、楽しかった〜

13時半に会場に着いたのだけど、すっごい人混み具合で、覚悟はしていたけど笑っちゃうくらい混雑してた。

行く人と来る人の波が、会場前の歩道の信号機でぶつかって大賑わい。

警備員さん大忙しだったね。

朝から楽しんでた人、もしくはあまりの混雑具合に早々に撤退した人たちとすれ違って、どうか混雑のピークは過ぎていますようにと願ったけど、実際どうだったんだろう。

 

 

 

あらかじめ会場内を回るルートや見たいお店は決めていたから、入場するやいなや人の波に飲まれまいと強気にどしどしテントに飛び込んでいっていたら、同行人である彼氏を置いてけぼりにしていたようで、かなり疲れさせてしまった。反省。

 

 

 

 


以下、やっぱり日記を書く気分じゃないな〜と再び布団に入ってみたものの、まだまだ眠れず、最近始めたスレッタをぽちぽちして書いた文章。

 

 

 

 


東京蚤の市すごく楽しかった🥺素敵なものがたくさんあって癒された!

 


…という気持ちがほんとうなんだとずっと信じて帰ってきたけど、夜になったらどっと疲れが出て、足がパンパンでだるくて、陽に干されたからか体も熱っていて(今朝5時ごろまで眠れなくて下調べしてたから)寝不足のはずなのになかなか眠れず布団で苦しんでいたら、だんだん思考回路まで落ち込んできて、これはいかんと布団から抜け出したのがさっきのこと。

「楽しいことがあったあと、死にたくなる」って、今感じている不安を素直に検索したら、自殺未遂をしてしまった方のコメントがあって、それを読んだら涙が出たのでびっくりして、あたし(こんなことで涙が出るなんて)なんか無理してるんだなと気づいた。

じっくり自分をかえりみて、本当は今日はすごく人が多くて、ゆっくり見れなくて残念だった。初日じゃない日に予約すればよかった。もっと楽しみたかった。と、本音を心で唱えたら、体が少し楽になった。

商品や企画の世界観がとても素敵で、目の前にあったのは事実。ただ、来場者が異常に多すぎただけ。誰も悪くない。

 


いつか旅先で、今日出会った素敵なお店にまた出会えたらいいな。

 

 

 

 


正直、昨日までにそこそこいい具合に昼夜逆転リズムが出来上がってしまっていて、昨晩は蚤の市が楽しみで興奮していたこともあり、見事に朝方まで眠れず。最後の1時間〜2時間あまりは蚤の市の情報収集に徹していたよ。(iPadで地図にメモ書きしたり、出店者さんのインスタフォローしたり…充実してた☺️)

 


寝たのは5時で、早起きは無理(同行人もせっかくの休日寝かせてあげたいし)だからと初めから午後参戦と決めて10時40分起床。

 


そういえば昨日またえづきが激しくなってしまって、その名残で今朝もオエオエしてたや。二日酔いではありません。生活リズムの乱れで自律神経もおかしいし、今日だったら寝不足だし、でも1番はどうやら完全に胃下垂になってしまったようで、最近食後の胃以下から下っ腹にかけての脹れ具合が半端ない。それで、元々ウエストはかなり細い方だったから、知らず知らずズボンでお腹を締め付けていたりして、気づいた時にはお腹に変な力が入るのが癖になっていてえづきが止まらなくなったりする。

 


でも家を出て電車に乗って、蚤の市を回って…休日を満喫している間は全くえづかなかったし、息苦しさも感じなかったなぁ。もしかしたら、意外と暮らしやすくてお気に入りというのもほんのちょっと痩せ我慢の大変コンパクトな(せま〜い)ワンルームのアパート暮らしに、物理的にも心理的にも息苦しさを感じているから、呼吸やら胃の調子がおかしくなってしまうのか?と思ったり。うーん気のせいか。1番の問題は食事の内容や食事中の姿勢、あと食後にすぐ横になってしまいがち、摂取する時間も問題だと思う。栄養素については少し意識してるけど(卵や牛乳、ヨーグルト、肉、野菜、キノコ、いっぱい食べてる)食べ方とか(YouTube見ながら食べてる…)時間がなぁ。深夜に眠れなくて困ることが多いから、眠れない原因が空腹でないよう、あらかじめ小腹満たしを食べておいたりするんだけど、体にはほんと良くないけど、それがすごく良くて調子いいんだ。安心して布団に入れて精神的によい。さて、どうしたらいいのだ。やはり一度心療内科にかかって相談して、いよいよ入眠剤をもらうべきだなぁ。

 

 

 

蚤の市の後はせっかくだから美味しいものを食べて帰ろうと、そのまま立川のガーデンの餃子スタンドで油淋鶏、焼き餃子(×2)、水餃子、卵まぜそば、飲み物は久々にアルコールをいただいて、かなりエンジョイしてきた。それも、全然お腹も喉も苦しくならなくて不思議だった。アルコールがすごく美味しくて、食欲が湧いて、いい効果を発揮していたのかな。お店に入る前はそんなにお腹が減ってない気がしていたのにたくさん食べれて安心した。食後のお腹は確かにぽっこりしてたけど、昨日みたいに吐き気がして呼吸が浅くてどうにも苦しくてたまらないという感じはなかった。やっぱり狭い部屋で壁に向かって、高さの合ってない机と椅子でYouTubeに気を取られながら黙々と食事しているから、あんなに胃が苦しくなるのかなぁ。一人暮らしの食事って、全くたいしたものじゃないから、いちいち食事の時間に重きを置いて、姿勢を正してゆっくり食べるような気持ちになかなかなれない。これは厄介な問題だなぁ。

 


2時半か。今日は午前から日光を浴びれたし、そもそも寝不足だから早く眠くなれるから昼夜逆転を正せてラッキーと思ったのに、なんか全然だめそう。なんならこのまま朝方に寝て、寝不足だった分も寝るから陽が傾いた頃にやっと起きる可能性すらある。ひどい話だ。

 


なんでこんなにリズムが狂ってしまうのだろう。狂わずになんとかやれてる日もある。バイトが週4回以上ある時だな。その間も夜眠れなくて寝不足のまま仕事にいく日はあるけど、流石に寝不足で仕事した日の夜は早めに眠れるからトータルで保てる。私休みが多すぎるんだなぁ。Vtuberは決まって夜型になってしまう人が多いらしいんだけど、家でクリエイターやってる人はリズム狂いがちだったりする?単に夜型寄りの人間がゲーム配信者に多いってことだろうけど。私も夜型ってことなのかな。

 

 

 

10月の後半は仕事が週4以上で入ってたし、精神的に調子悪くなかったから日記をつけるのをすっかりサボっていたけど、昨日その突然の胃痛&えずき事件が発生したからやはり体調のこまめな記録は欠かせないなと2週間分を思い出してつけてた。

 


やっぱりピルを飲み始めてから調子がいい。だって今だって本来だったら生理前で、もっともっとイライラしたり涙が出たり体が冷えておかしくて寝込んでたりしたのに、「普通」の日常が送れている。普通に楽しかったり落ち込んだり癒されたり疲れたりしてる。楽だ。

 

 

 

美味しいものが食べたい。コンビニのご飯はたまにならいいけど、いつもは絶対に嫌。テイクアウトのご飯は美味しいし食べた直後は幸せだけど、満腹感や幸福感が長続きしない感じがする。(あと大概米!肉!って感じのメニューになりがちだからめっちゃ太る。)食費大丈夫かなって心配とかもあるからだと思う。自炊なんだけど、うーん、最近割に合わないかなって思うことが多い。お皿洗い面倒だし、味付けこれでいいのかなって迷子になるし、作りすぎて食べすぎちゃうこと多いし、レパートリー少ないから作るのも食べるのも作業的になってしまいがちだし、だからといって凝った物作る余裕はほぼないし、キッチン狭いし冷蔵庫小さいし冷凍庫ないし…とかいいつつ休日は一食分は必ず自炊して、多めに作るから余った分を別の時間に食べたりしてちゃんと質素に暮らしてる。そうしないと体調的にも金銭的にも生きていくのしんどいからねぇ。一人暮らしにも一人暮らしなりの大変さがあるとしたらここだなぁ。昼ごはんと夜ごはんってジャンル?があまりはっきり存在しない。朝は何か口にするけどその日の空腹具合によって量や内容はまちまちで、朝ごはんの摂取量に応じて次の食事の時間や内容を決める感じ。朝そんなに食べてなくてもなかなか次の食事時間がこないこともあってそういう時は次の食事の時間に爆食してそれが急に夜ご飯?みたいになって眠って、深夜に起きて夜食?を食べたりする。これは1番ダメなパターン。朝ごはんの摂取量っていうのは結局その前の晩に何時に何を食べたかっていう胃の残留物によって決まってるから、夜ご飯の食べ方が大事になってきそう。色々かいた。今日はここまで。

 

 

 

 


10月22日0時40分

 


脳がへんに興奮しているし、右足の親指の爪の縁が昨日から触ると痛くてそれが妙に気に障ってイライラして眠れない。

 


最近お腹がぽっこりとはって苦しい。腹筋の筋力低下と内臓脂肪がついたことが原因のようで、あらゆるズボンのウエストがきつい。

 


腹筋力の低下はスポーツをめっきりしていないのと、どちらかといえば長時間座っていることが多いのが原因だと思う。内臓脂肪がついた原因としてはどうやら食習慣が悪いようだ。しかし特に食習慣については改善ができる分だけの生活のゆとりがないように思う。休日はそれほど悪くはないが、仕事の日は1日の中で遅めの晩御飯(20時から21時台)でやっとゆっくりと食事を取るような働き方で、その晩ごはんで朝昼と十分食べられなかった分を取り返す勢いで肉や米をガツガツと食べる。昼ごはんのメニューの選択は1番改善の余地が見出せそうなところだが、お金も時間もないから安くて簡単にお腹が膨れて満腹感や後味が尾を引かないうどんとかおにぎりとかサンドイッチやハンバーガー系のパン類とかでどうしても済ませがちだ。それからそろそろ寝ようかと布団に入る時間が最近は遅くなることが多く(本当は眠たくないのに夜だからと焦って布団に入るのはやめた)そんな時なんとなく空腹だとやっぱり布団でいつまでたっても眠れないので、あらかじめ小腹満たしをしてから眠ることが多い。いかにも内臓脂肪が蓄積されそうな食事の取り方だけどこれが金銭的、生活リズム的に合った「ストレスフリーな食習慣」なので変えようがない。

 


そう、問題はストレスだと思う。今日、糖質についての本を読んだのだが、糖質制限ダイエットがいい!、なんなら晩御飯は糖質抜きで良いくらいだ!そもそも縄文人は肉食なので(私たち人間は縄文時代からDNAは変わっていないのだ)生命維持に本当は糖など必要ないくらいだ!そんな勢いでとにかく糖質は太りやすく“悪”でカロリー制限よりも糖質制限が痩せに圧倒的に重要と主張されたが、でも疲れてやる気が出なくてどうしても仕事にならない時に甘い飲み物を飲めば回復して穏やかに乗り切れることは多いし、仕事から解放された後に食べる白米の美味しさ、幸せを感じるのは糖質を摂った時だし、なんだか水が喉を通らない、水を飲んでも飲んでも喉の渇きや体の火照りが癒えない時はスポーツドリンクや果実や野菜のジュースが効くし、縄文人と遺伝子は変わらなくても私たちの置かれた現代という時代は私たちに糖質を必要としているのだ!

 


本には、糖を取ると幸せのなんとかニンかフェンかリンか何かそういうのが出るがそれは一時的な麻痺のようなもので取りすぎると中毒のような状態になってしまうから良くない!とあったが、要は取りすぎないことが重要ということ、つまり元を辿れば、糖を多量摂取しなければ乗り越えられないほどのストレス量を抱えてはいけないということになる。そうか、私のこのぽっこりお腹はここ最近私が受けたストレス量ということだったのね?以前より、精神的に格段にうまくやっているとは思っていたけど、こんなところに身代わりがいたとは。でも、そう、精神的にはうまくやれているのだから、とりあえず様子を見たい。ストレスを受けたくないからと仕事に行かず、家で休んでばっかりじゃ生活にならないから仕方ない。

 


縄文人とDNAが変わらないというのなら、私たちは本当は山にこもって太陽の昇り降りと雨と風と土と動物たちと植物たちと共に、成果とか利益とか老後への備えとかいらない心配事はいっぱい捨てて、体をいっぱい動かして悠々自適に暮らすのが1番の幸せなのかも知れない。

 


…こんなアスファルトとコンクリートに閉じ込められた薄暗いシステムだらけ実態の見えない金と損得に操られた世界では瑞々しい生命活動は行えないとDNAが嘆いている。とか調子に乗ってきたので書いてみる。

 


なんとなくいい文章がかけた気がする、思っていることが発散できてスッキリした。あとどうやらホットミルクの一杯が効いてきたようだ、イライラと興奮がだいぶおさまった。でもまた壮大な尺度で社会に悪態とかついてしまったし、やっぱり今日はちょっと疲れているみたいだ。それか、また面白くて素敵な小説に出会ったからその影響なのかも知れない。青山七恵さんの「すみれ」というお話、すごくよかったぁ。

 


もう2時だ。読み直して、修正をかけていたら、2時半だ。10時には出勤だ。寝なければ。

 

 

 

 

 

 

 

 

贅沢な悩み/衣替え完了!

 


10月6日

 


5日も連休があって、その3日目の晩ともなってくると、既に十分休んだ上にまだ2日も休めることに、こんな贅沢三昧な生活をしていて平気なのだろうかと心配になってくる。今日なんて冷蔵庫に作り置きのカレーライスも炊き込みご飯もあるのにコンビニで荷物を出したついでにチキンののった490円もする贅沢なサラダをつい買ってしまったし、一緒に130円のペットボトル飲料(無糖の紅茶)もすごく欲しいわけでもないのに買ってしまったし、日が暮れるとなんだか家にいるのが退屈になってフラフラと商店街を散歩した足で、最近お気に入りのちょっとお高めのスーパーで490円のお惣菜の焼き鳥と120円の惣菜パン(この間食べて美味しかった、たらこのフランスパン)と、200円のチョコ入りスコーンを買ってしまったし、働いてないのに買い物はしてしまって、あれ、今月のクレカの引き落とし大丈夫だったかなと夜になって急に不安になってきたりする。(買い物はほとんどQR決済で、後からまとめて請求が来て怖い思いをする。)

 


休みと言っても半分趣味半分仕事の絵を一生懸命描くことに時間を費やしたり、洗濯や掃除や自炊をしたりと、お金は発生しないけれどどれも立派な労働をしているのだからそれを正当に評価して、今日もよくやった!と自分を労わって眠ればいいのに、なんだか今日という日に満足して眠るにはどうにも働きが足りない気がしてしまう変なところで真面目?な人間なのであった。

 

 

 

やながせ倉庫団地さんからDMをいただいて、私の絵が素敵だからぜひ飾りたいですー!(自分目線に偏った要約)なんてお願いされたら嬉しいに決まっている。

 


描きかけだった絵はすぐに完成して、昨晩のうちにちゃっかり額装の準備を済まし、今朝は額が届いたことを知らせるヤマトのインターホンの音で目覚めて、朝ごはんを食べたら絵を額に入れて、写真撮影を済まし梱包してコンビニに持っていって発送し、この件に関するすべての任務を完了した。(あとは後日SNSに情報をアップするご褒美タイムを残すのみだ。)モチベーションが高いってこのことだなぁと、あっという間に仕事が進むので、自分もやればできるじゃん!と自信を持ったし、モチベーションが高ければやってる間苦を感じなくて一日中活発でいられて、私いきいきしてるなぁと感心して気持ちがいい。

 


でも今日はそうやって発送まで済んでしまったら、ちょっと集中の糸が切れてしまって、次の依頼の絵をこの勢いのまま描きかけたけれど、やっぱり夕方からだらっとしてしまったのだ。

 

 

 

10月7日

 


今日は夏服を一斉に洗濯して、部屋の衣替えを済ますのが重大目標だ。天気はばっちり確認済み、今日は1日を通して快晴のいいお天気で、もし今日を逃してしまうとしばらくチャンスがないので絶対に外せない。

 


意気込みすぎたせいなのかなぜか7時に目が覚めて、なんとなく小腹が空いていたのでチョコ入りのスコーンとホットミルクをいただいた。スコーンはレンジで1こあたり10秒ほど温めるとホクホクに柔らかくなって美味しい。そのまま洗濯を回そうかと思ったけど、ちょっと眠気がまさったので二度寝。11時に慌てて起きて任務を遂行。

 


涼しくなって蚊がひどい。夏の間は夜も暑すぎて蚊の姿は見えなかった。秋になったら蚊が現れて、絶滅してなかったのだと感心した。とは言っても今度はどんどん涼しくなるばかりで、朝晩は寒さすら感じる気温になったのでそろそろ蚊も終わりか、ここ2週間ほどで私の蚊への防衛術が上達したのか、今日は刺されずに洗濯を完了することができた。

 


昨日からピルの休薬期間になって、ちょっと眠気とか、だるさを感じる。めっきりと集中力がない気がする。だから絵画制作は今日は初めから諦めて、作り置きの炊き込みご飯と納豆とインスタントの味噌汁の朝ごはん(昼ごはん?)を食べたあとは再び布団に潜って3度寝、14時まで1時間ほど眠った。いつも休日は8〜9時間は寝ている。今日みたいに多いとプラス1〜2時間。そのくらい寝ないと頭がなかなかスッキリしない。

 


昨日シャワーを浴びずに寝てしまっていたし、一昨日は髪を洗うのをサボっていたので、流石にお風呂に入りたくなった。だけど心はまだ布団を恋しがっていたので、脳に「まずは服を脱げ!」と厳しく指令を出させて、頭(心)より体を先に動かすことでシャワーを浴びる任務の遂行に成功。次は「髪を乾かすために鏡の前に座った流れで身支度をしろ!」と再び脳に命令を出させて、軽く眉を描いたりヘアアイロンをさせて外に出でもいいと思えるように体をセッティング。今晩は今季初の鍋をしようと彼と約束していたので、これからその材料の買い出しに行く。

 


嬉しいことに今日は白菜もきのこもお値打ちの日で、お得なしゃぶ肉のパックも見つけたし、あとは大根と鍋用には余った大根でもう一品作り置きを作るための挽肉、豆腐や卵、牛乳や野菜ジュース、夕飯までまだ時間があったので帰ったら小腹満たしに食べる小さい八宝菜弁当なども買って、満足して帰宅。

 


帰り道にある100円の自販機で、見たことないパッケージの微糖のアイスティーを買ってみて、家に帰って牛乳で割って飲んだ。ミニ八宝菜弁当を食べて、歯磨きをして、一息ついたらちょっと音楽とか聴きながら机に向かって、今日は久々にビーズを軽く編んでみた。

 


17時に(蚊との攻防戦を繰り広げながら)洗濯を取り込んだら、小さいミドリカメムシが一匹部屋にいることに気づいた。すぐ勇敢にガムテープで密閉駆除して、よく乾いた服を一枚一枚虫がついていないか確認しながら畳んで、じゃあまた来年ねと無印のやわらかケースに乾燥剤と一緒にしまった。

 


今日は重大任務が達成できた満足感を持ちながら日暮を迎えられて気持ちがいい。それに、今は休薬期間だし大した働きができなくても仕方ない(創作活動は無理せず)と朝から目標を低く設定しておいたおかげでだいぶ気持ちが楽だ。ピルに休薬期間があって、結局その間に不安感とか焦燥感、眠気やだるさに見舞われるなら、病気全然治らないんじゃん!服用する意味なくない!?なんて先月はちょっと過激に思ったけど、期間がはっきりわかっているから対策をしやすい、と思うことにしようと思った。

 


鍋は大成功だった。彼が帰ってくるタイミングにちょうど合わせて作ることができたし、シメに買っておいたちびまる子ちゃんの(マルちゃん正麺の)鍋に入れる生めんがかなり美味しくて彼も喜んでくれた。鍋の前に作った大根のそぼろあんかけの大根の下茹で中にお風呂掃除もしたし、3度寝していたおかげで晩御飯後にうだうだせずすぐお皿洗もできてスッキリ、今日は思いがけず良い1日になった。

 

 

 

そういえば母が、午後3時ごろに小1時間ほど昼寝をすると調子がいいのだと話していたことを思い出した。母は朝5時ごろ目覚めて6時には活動を開始していたから確かに昼寝は挟んだほうがいいと思った。だってそれにまだそのあと夕ご飯を片付けるまで仕事があるし、やはり主婦の仕事は地味に一日中あり耐久戦になってくるから暇を見つけたら真昼間だろうがしっかり休むことが必要だと感じた。朝が早い母はよく夕飯の片付けまで済んだ19時半ごろ居間にほっと一息のカフェの一杯を片手にやってくると、父の趣味のアニメを興味はないけど仕方がないので耳に入れながら隣でぐーぐーいびきをかきながら眠り始めるのだった。

 

 

 

ご褒美厚切り牛タン丼事件

 


2023年10月4日

 

 


やながせ倉庫団地さんから、新しくできたギャラリースペースにぜひ私の絵を飾りたい!(私目線に偏った意訳)なんて連絡が来た。とっても嬉しくて早速どの絵にしようか考えた結果、去年描きかけていた花壇の花に蝶がとまっている絵を仕上げてそれを送ることに決めた。

 


そうと決まると早く絵を完成させたくて仕方なくて、早速その日の晩から描き始めた。去年、いい線画がかけたと満足して色も少し塗りかけたものの、葉の複雑な色の塗り分けが面倒になり、筆が進まず冬眠し続けていた絵が11ヶ月ぶりに猛スピードで進み始めた。

 


次の日はバイトがあったので、早く蝶の絵の続きが描きたいのにとうずうず過ごした。秋らしい穏やかな日で、こんな日はいい絵が描けそうだと素敵な絵が完成する想像をした。帰宅すると案外疲れがあって食事を済ますと22時ごろ眠った。深夜に目が覚めてみると、やっぱり蝶の絵が描きたくてうずうずして眠れなくなったので、布団から起き出して机に向かい、ひたすら塗り進めて朝を迎えた。

 


7時に寝て、11時に起きた。最初に冷蔵庫で出番を待たせていたキャベツをふんだんに使ったなんちゃってミネストローネを大量に作って、次にそれを食べながら色塗り作業を再開。14時半ごろまでまたひたすら塗った。

 


あと一息で完成というところだ、気分転換も兼ねて食料調達へと家を出て、カフェオレとたらこパンを軽くいただいたらまた作業を再開。食事が粗末でも平気だったのは、とにかく絵の続きが気になってしょうがなかったから。集中力は昨晩から途切れることなく続き、11ヶ月間眠っていた絵は一気に完成まで到達した。

 


あと少しで完成!と思いながら何時間も経過した。完成に近づくほどに、描きたい表現(描くべき表現がはっきり見えるようになって筆がどんどん進むのだ)が増えていった。完成が見えてくると絵がとっても楽しくなる。やっとたのしくなってくると言ってもいい。そうやって終わってしまうのが惜しい!などと思いながら楽しく描いていたのだが、だんだん空腹との勝負になってきた。ちょうど空腹が限界に達する頃に絵は完成した。

 


遅めの晩御飯は昼間の気分転換の際に、最近お気に入りのちょっとお高めなスーパーで購入した厚切り牛タン(20%オフで500円!)をフライパンで焼いてご飯に乗せて食べる牛タン丼!作り置きミネストローネもいただいて、今日は達成感に満ち溢れてご褒美まであって最高の1日になった…はずだった。どうにも晩御飯を食べたあと、お腹が苦しくて横になっていたらひどい吐き気に襲われて、食中毒なら吐いたと思うけど吐くことはなく、でも今にも吐きそうな苦しい状態が1時間ほど続いた。部屋でゲームをしていたという彼を呼びつけて、牛の匂いがプワンとかおってくるフライパンをとにかくすぐ洗うようにお願いして、それから背中をさすってもらえないかと乞願した。(彼は新しく買ったばかりのゲームに没頭していたようで呼びつけてしまったらそれはそれはたいそう不機嫌だった。)私はただ椅子に座って姿勢を一定にし、呼吸を正しくすることに全集中し、吐き気が過ぎるのをひたすら待った。胃がおかしいのは確実だが、どこかの神経も麻痺しているみたいで脇の下に急に激痛が走ったり、頭痛がしたりした。空腹からの急な食べ過ぎ(しかも厚切り牛タン7枚…)、変則的な睡眠からの過集中、長時間同じ姿勢で作業しっぱなし、眼精疲労、全ての疲労が一気に襲ってきて体のコンディションは最悪な状態だった。後半は大好きなハロプロのライブ動画を見ながらとにかく安静していたら案外ケロッと治った。大事にならなくてよかった。いくら没頭しているからと言っても、食事や休憩はしっかり適度にこまめにとるべきだと反省した。

 

 

 

 


以下インスタに投稿した10月4日の日記。休憩中のカフェオレの写真とともに。

 

 

 

東京は昨晩からしとしと雨。

おとつい、やながせそうこのスタッフさんから連絡が来て、新しくできたギャラリースペースにぜひしほさんの絵を飾りたい❣️とのこと、嬉しくて嬉しくて、絵が描きたくて描きたくてしょうがなくて、昨晩は夜中に目が覚めてから黙々と机に向かったよ。

今日も朝から続きをかいて、目が慣れてきてしまったので14時半、気分転換に買い物に出かけたら、すごく涼しくてびっくりした。秋になってきたなぁとは思ったけど、ひと雨降ってさらに季節が深まったのだと感心。寒いかと思ったけど歩いたらホカホカしてきてちょうどいい気温◎最近調子がいいのは季節のおかげだと感じるよ。

少しお高めのマダムのスーパーに行って、カフェオレを購入。本当は四つ葉コーヒーが目当てだったのだけど、品切れ中で、代わりに今日はこちらの渋いカフェオレにしてみた。コーヒーの苦味がきいていて、パッケージどおりのシックな古い喫茶店の味だったよ。

昨日はバイトだったから、薄暗い高架下のバイト先に長くこもらなきゃいけなかったわけだけど、窓の外に見える日差しも、休憩時間に少し外を歩いた時の空気もまさに爽やかな秋そのもので、なんだか運動会当日の景色が目に浮かんだよ。

その、窓の外に映るやわらかい日差しと、気持ちの良い空気を感じると、この景色と穏やかな気持ちをそのまま伝えられるような美しい絵が描きたいなぁと創作意欲がむくむくと湧いてきて、素敵な絵が完成する想像をしてたよ。

と、思ったことをつらつらとかいてみたよ。

 

 

 

楽しかった箱根旅行/夜が明ける(西加奈子)読了

10月1日

 

 

 

彼の発案で先日、日帰り箱根旅行に出かけた。正直、収入の割に私たちは頻繁に旅行に行き過ぎではないかと後ろめたく思っていたのだが、実際に行ってみた感想としては、すっごく楽しかった!行ってよかったー!最高!である。

 


にしても、彼の発案だというのに彼からプランの説明は一切なく旅行の前々日になったので、(後ろめたい気持ちがあったので私からなかなか計画について声をかけなかったのもあるが)心配になってルートやそもそも箱根とはなんぞや、というところから調べ直したりして、大まかなルートの決定、とりあえずバスで行ったほうが目的地までお得ということでバスの予約、次の日の晩(つまり旅行前日の晩に)後半の計画(目的達成後、帰りの時間までより観光地を楽しく多く巡るための微調整)を立てて、荷物の準備をして、もう限界!あとはなんとかなるだろう!と明日に任せて眠って旅行当日を迎えた。

 


そんなふうにバタバタと出発したわけだが、急ごしらえの計画は控えめに言って完璧で、丸一日、存分に箱根を楽しんだ。

 


旅の目的(彼が箱根に行きたかったわけ)であったポーラ美術館がかなりよかった。まず箱根にまで行く甲斐がある、充実した展示内容だったし、それにとても建築の美しい美術館だった。私のイチオシは館内のカフェ「TUNE  CAFE」で、お昼に食べた山菜うどん(これがまた美味しかった、旅の素敵な思い出の一つ)のお口直しをと真っ先にそのカフェに向かったところ見事心を奪われた。白を基調として、どちらかといえば無機質なテーブル・空間に、『ピュアレッド』のポーラのロゴ、看板、メニュー表、コースター……いずれもポーラ美術館のメインロゴをあしらった、テキストで魅せるデザインで、そのカラーが、ピュアレッドなのである。圧倒的おしゃれ。ハイセンス。遊び心ってこういうことかと、専門じゃないのでうまくいえないけど、私はすっごく気に入った。

 


カフェでひとしきりはしゃいで、写真を撮りまくって(お客さんは少なかったけど、ちょっと迷惑な嫌な感じの客だったと思う、プチ反省。)それからいざ見に行った展示が本当によかったのだ。日本画の展示で、その成り立ちから現代に至るまでを丁寧に追った熱心な展示だった。

 

 

 

この文章を書いている晩(10月1日から2日に変わる深夜)事件が起こった。後から冷静になって思い起こせば彼の学校の課題に対するストレスの捌け口にされていたと解釈するのが、彼に対しては失礼で残酷ではあるものの自分を守るためには正当で腑に落ちる考え方だと思う、半日たった今はそう思うことで事をこれ以上荒げないように意識しているわけであるが、今後どうなるか少し不安だ。

 

 

 

 

 

 

10月2日

 


夜が明けるを読み終えた。凄まじかった。物語のほとんどが闇だ。たまに(こちらは眩しいくらいの)救いがあるおかげで読み進めることができるが、それでも物語は最初から最後まで、ひどいひどい闇だ。数は少ないものの、その特に最後の救いは鮮烈で、余談になるが私はこの登場人物の描写をいわゆるZ世代への期待(Z世代とか使うと急に陳腐になるがわかりやすいから仕方ない)これから大人になるものに託された希望を表現しているのだと考察してみると急に爽やかだ。とにかく気持ち悪い、胸糞悪い話を黙々と読み進める必要がある。物語は最後に最初につながる。「環」という表現が思い浮かぶのだが、なんだかいい言葉が見つからない、最後に一気に伏線回収されるような腑に落ちる感じがする。我々読者が苦労して読んだ闇は、落ちるところまで落ちた主人公がこれから映すものなのだと理解する。火の灯るような、空が白み始まるような、つまりタイトルである夜が明けるような終わり方がなんともよかった。というか、あの深い深い闇に一筋でも光が差して終わってくれて助かったと表現したほうが正しいか。総評して、今回の西加奈子さんの本も、本当におもしろい、魅力的なお話だった。いい感想が言えない。とにかく読んでよかった。

 


昨日は暑かった。湿気っていたのだ。まだ夏なのかよとうんざりした。でも今日はちゃんと秋の匂いがする。涼しくて静かだ。洗濯を干して、外の空気を常に室内に通して、気持ちよく本を読んだ。

 


…とにかくクーラーが嫌いだ。クーラーをつけないと微妙に暑くてたまらないのにいざクーラーをつけると体が冷えて気持ち悪い気温が心から嫌いだ。最近は特にクーラーからカビ臭くて納豆のような匂いがする(掃除はこの前したばかりなのだが…一夏分のカビがびっしり生えていたから。)だからつけなきゃいけないと思うと本当に憂鬱だ。10月だぞいい加減にしろ!と怒鳴りたくなる…