2024年 11月17日 深夜0時46分
2024年11月15日の金曜日は、私たちカップルにとって記念の日となった。
観葉植物購入記念日である。私の人生に、ついに観葉植物が加わった。25年目の、新メンバーである。これからよろしくな!
あぁ、素敵すぎる!
こんな生活がしたいと夢見ていた生活を、今していると思った。これからしていくんだと思った。観葉植物を抱えて、街を歩きながらそう思った。だって、観葉植物のある部屋だよ?おしゃれすぎる。
愚痴も多いし、仕事はたいしたことができなくて、家族に世話をかけているけど、今回はそれはおいておいて!
絵を描いて、本を読んで、よく寝る。それで、考えたこと、成果物、発信したことに、最近は特に友達が反応してくれて、あたたかい声をもらえたりもする!
15日。大好きな彼氏とカフェでお茶をして、例の観葉植物を購入…なんと、お揃いの波佐見焼のマグカップも新しく購入!
…幸せすぎる。お金もいつもよりたくさんつかってしまったわけだけど、こんな日があってもいいよね。というか、こんな日があるんだ!わー!素敵すぎる。主に、彼氏がこんなに買い物に乗り気なデートが、激レアなのだ。彼氏がかなり楽しんでおり、嬉しかった。幸せすぎて、途中から冷や汗かいてた。
この日は朝一番にバスに乗って、雨上がりの植物園を散歩したのだ。絵の資料用の撮影が目的で。カフェはその後のことである。贅沢な1日であった。そのうえ帰宅し、おニューの観葉植物ちゃんの置き場確保のために必要になったアイテムを買い足しに、もう一度出かけた。腹ごしらえにお店でラーメンを食べてから、夜に無印良品にまで行った。すごい、濃い1日。28,000歩、歩いた。最高記録かもしれない。
1人で歩く植物園も楽しいけど、彼氏と歩けば嬉しさ2倍よ。私たちは付き合って5、6年ほど経つというのに、いつまで経ってもバカみたいなラブラブカップルだよ。すれ違う大人も(子供ですら)きっと心の中でうんざり呆れているだろう。ごめんなさい。主に私のせいなのですが。私はずっと大人っぽく過ごせなくて、植物園でだって笑顔が止まらなくて、わーとかきゃーとか、いちいちオーバーリアクアション。お喋りも止まらなくて、フラフラ歩いて、彼氏がいると周りにあまり気を配れなくなって、ヘラヘラしてる。以前は彼にしつこく叱られてたけど、2年も一緒に暮らしたからね、彼ももう諦めたらしい。黙って付き合ってくださいます。
今日、16日は、予定より早く目が覚めてしまった。
2万歩以上歩いた次の日は、流石に体が凝っている。その影響でか、まずその晩の寝つきもそんなに良くないし、(布団の中で体をジタバタとさせ、寝ようか寝まいかと何度も思案して、ようやく寝る)そうだ、次の日いつもより早く目が覚めてしまう傾向にあるように思う。
体が凝っていて、眠れていないとまでくると、当然頭もぼーっとする。私は8時間(からもしかしたら9時間)は睡眠が必要なタイプで、今日は睡眠負債や睡眠貯蓄も加味した私の計算からしてちょうど2時間分、早く目が覚めてしまった。頭がかなり重かった。でも空腹が気になって二度寝ができなくて、諦めて布団から出て朝ごはんを食べた。それから机に向かってなんとなく形だけはいつも通り読み書きをしたり、写真を選別したりしたら、気分転換にいつもより早めに図書館に出かけた。
75%ほどの集中力で、2時間ほど図書館で読書。読んだ本は、ちくまプリマー新書の「未来形の読書術」。哲学的な要素もあり、頭の中で整理のしがいがある、興味深い内容であったから、その場でノートにまとめたりもしたかったけど、頭の重さが晴れずじまいで、今日はやめた。
それで早めに図書館を出て、スーパーで食材を買って帰宅し、即席のちくわと白菜入りの焼きそばを作って、食べて、布団にくるまって、寝た。昼寝である。爆睡であった。ちょうど足りなかった2時間分、寝たら、目が覚めた。陽はすっかり落ちていた。
最近、SNSに疲れている。と言っても、やっているのはInstagramくらいなのだが。そのInstagramの、ストーリー投稿の頻度について。
ストーリーの機能を、喜んで使い始めたのはつい最近のことだ。24時間で消えてしまうことの有用性をやっと理解し、その上で、閲覧者が結構多いというところがミソだ、サクッとあげて、みんなにもサクッと見てもらって、「リアルタイムを共有」し次へというサイクルの速さ、消費のされ方は、ハマってしまうと疲れが知らないうちに溜まっているような気がする。
そもそも、あげたい写真や自分語りが、結構溜まってしまっているのが原因だ。それが最近の悩み。なんて贅沢な悩みなんだと、呆れる。
あれもこれも、みんなに見せたい!知ってほしい。自慢したい…?本のこと、新しく買ったアイテムのこと、秋の写真、手帳のお気に入りのページ、最近思ったこと、勉強して得た気づき…、これって全部、自慢したいってことなのかな?それだったらなんて卑しいのだ!と、ふと思ったけど、ちょっと違う。
ストーリーはもっとカジュアルで、消費されていい、たいしたことないけど聞いてほしい!で、さらっとみんなに聞いてもらえる感じ。ただ、その欲望のままに連投したりして、厚かましく感じられたくないし、承認欲求お化けのネット依存者だと思われたくない…(なりたくない!)から、抑えているのだけど、その抑えている間に、また投稿したい話題が溜まってしまうのです。もどかしさは募る一方なのです。
わー、もうやだ。そう言いつつさっきあげた、今読んでいる本の紹介と、植物園で撮影した良き写真のストーリー投稿について、誰か反応してくれたかなと、つい再びアプリを開いてしまいそうになる自分が嫌だ。それも悩み。一度投稿したら、素敵に投稿できたかなとか、誰か反応してくれたかなとか、何度も見返したくなって、我慢したって頭にちらついて鬱陶しい。こんなの依存症だー!と頭を抱える。自分で自分が嫌になる。
だから、サクッとは欲求を満たせない、文章を書くことに没頭して、気を紛らわしているってわけ。
それに文章は、サクッとも読めないわけで、その一手間かかる、面倒な壁を乗り越えてきた屈強な読者と、やっと繋がれる…その少々厳かな人との距離感がちょうどいい。
絵もそうだ。絵も、サクッとは描けないから、遅効性のある承認欲求の満たされ方で、落ち着く。
ストーリーは写真と、一言から成る簡単な文章で投稿が完了する。写真は、iPhoneで撮ってそのままあげちゃってくださいねという規格で、難しい編集も説明も不要。数秒のインパクト重視。あらゆるお手軽さが、悪魔的だ。悪魔的な、承認欲求満たし装置。
SNS以外に、趣味の合う人間と最近の成果物を持ち寄って、語り合うような場があればいいのに、と最近よく思う。とは言っても私はシャイというか、人の集まりがとても苦手なので、それがあったとしてもうまく活用できるかどうか…自信は全くない。
ただ、今は自分の表現の場であり人と繋がる場がSNS(Instagram)一辺倒になりすぎているのが、気持ち悪い。なんだか、自己満足がすぎると思う。SNS、Instagram、特にストーリーのお手軽さ、簡単に発信できすぎることの、危うさ。内容の質が上がらないまま、自分の承認欲求は細切れに満たされて、成長の機会が奪われている気がする。何か良くない欲求が、ハイスピードで空虚に肥大し、現実は誇張され、短命な創作人生になる予感がする。
かといって極端にスマホを持たない!SNSをしない!なんてわけにはいかなくて、難しい時代だなと思う。
流行に乗らず、最新情報を全く得ないのは退行の行為であるとすら思う。日々の多くの事柄が、自己管理能力に委ねられすぎているように思う。道具を使う、それだけのことから、各々の能力、知性、感性に、委ねられすぎていて、スマホを、ネットを、どこまで有効活用できるかの、人による振れ幅が大きすぎる、とかなんとか、思ったことを書いて、途中で思考の整理学とか読みつつ、3時ごろ寝た。
2024年 11月20日 水曜日
今日はとんでもなく寒い日。
気温は、6度から9度…10度以下!突然の冬。
でも今日だけみたい。
(昨日も寒かった!6度から13度。冬物のもこもこジャンバーを羽織って、福田平八郎を見に美術館に出かけたよ。一昨日から寒くなったよなー、明日は和らいで9度から16度の予報。)
今朝は10時半にスッキリ起きて、彼氏が深夜に作り置きしてくれたカレーライスを食べて、11時から図書館に出かけた。
紅葉が、とっても綺麗だった。赤色は、一層鮮やかに、真紅に染まって、黄色も曇天に、自ら発光するように鮮やかに浮かび上がっていた。茶色のバリエーションの多さよ…。少し余白の多くなった梢に、様々な色合いの枯葉たちが、マダラに重なり合って、細かいマーブルの粒模様が空に描かれる。紅葉も、枯葉たちも、本当に複雑な色合いで、形も個性的で、見惚れたよ。
14時半まで図書館で、昨日見た福田平八郎の他の作品も見たくて、画集を開いたり、あと美術鑑賞のアドバイスについて、いい本があったので、その辺りの本を中心に、熱心に読んで、15時から友達とのビデオ通話の予定があったので急いで帰った。
高校の友達!話をするのは、今日が初めてくらい…!縁があり、こうやって25歳になって、改めて近況報告や、ちょっと深い、精神の話とか、孤独の話とか、できてよかったよ。とにかく、生きてて偉い!だよ。
30分、羽毛布団にくるまって、昼寝(夕寝?)をして、遅くまでやっている図書館へ出かけた。
YAコーナーで、「死にたいと思ったことがあるあなたへ」とか、そういう本、いろいろ熱心に読み漁った。
図書館の、暖かくて、和やかで、安心できる雰囲気が、そういう本を読むのに心地よくて、いつもつい熱中して読んでしまう。私が10代の時に、ゆっくり向き合えなかった問題、自己流で、なんとか誤魔化して過ごしてきたけど、欠けたままここまできてしまった問題たちを、今やっと「私らしさ」のようなものを掴んで、落ち着いてきたところで、猛烈に勉強し直している。
他に、本屋さんについての図鑑も今日読んで面白かった本。2時間、120%の集中力でした。昼寝は偉大なり。今日は合計5時間は勉強に費やせて、嬉しい。ドーパミン出てるよ。
本を、今日こうやって真剣に読んだ、その時間で十分得るものはあったと思うけど、もう一手間かけて、こうやって文字に起こして、いつかこんなふうに自由に図書館に行けなくて、仕事に忙殺されて、最低限の生活をこなすのに手一杯の、余裕のなくなる時が来た時のために、記録を残しておく。
東京には、素敵な本屋さんがいくつもあり、その本屋さんに来る人がいて、経営している人も素敵で、私もお店に足を運べばその素敵な輪にすぐに入れちゃうのが、とても嬉しい。本屋の店主さんは私にとっての有名人。
図書館も、素敵。今、3件ハシゴしてる。それぞれ、部屋の雰囲気、本のテイスト、開閉館時間など違うから、その時の気分でうまく活用する日々。
絵を描くときに、絵が下手な時こそ、いい道具を使いなさいとよく言われた。下手な時こそ、いい筆を使いなさい。パレットにある絵の具の色数は、とにかくたくさんあったほうがいい!
絵の具の色数については特に、その通りだと、しっくりきた。私は元々、色を塗るのが苦手だったから。自分の中にある、色数の引き出しが少なかった。だからパレットに80色くらい出して、一枚の絵でそのパレットの全色を使いこなす勢いで描く。絵の具の種類の多さに自分の色感を助けてもらうのだ。それから上達して、少ない色数の中でも混色をして、自分の思う多彩な色を作れるようになる。
本や勉強についても、まだあまり知識がない時にこそ、いい本屋さん、いい図書館が近くにあるってことは、ものすごい伸び代だと思う。実際、かなり助けられている。泣きそうになるくらい、本屋さんと図書館に感謝感激してる日々。
本屋さんが好きだ。街にある、本屋さんのこと。個人で経営されてる、小さな本屋さんのこと。すごく信頼してる。
この本屋さんにおいてあるんだから、きっと良い本に違いないと、自信満々に購入する。本屋さんが、まず一回、この本いいですよと絞ってくれて、そこから私がこれだ!という1冊を、やっと、選ぶのである。共同作業である。選書にかかる労力を、本屋さんに半分以上担ってもらっている。ありがたし。
図書館についてもそうだ。お気に入りの図書館があって、この図書館にあるのだから、良い本に違いないと、躊躇いなくかぶりついて読んでいる。最近は特に、ここ以上にいい図書館なんてない!と、信頼しきって、貪るように端から読んでいる。東京に住めてよかったとつくづく思う瞬間の、第一位である。(東京の、それこそ文化の巨塔みたいなところだからね。)
本は、右も左もわからないものに対しては特に、その物量が、暴力にすら感じるほどの莫大さ。逃げ出したくなるくらいの、知の軍勢。無言だから、こっちから触らない限り、危害を加えられたりはしないのだけど。無言だから、触りたくてもどこから触ったらいいのかわからない。仲良くなりたいのに、本は無愛想。だから装丁とか、親切な人の手の入った本屋さんや図書館に、助けてもらってる。
それにしても、世の中には知らない分野が多い。分野を変えて、一日中本を読んで過ごせる。