自分らしく生きたい

自分の体験が誰かの生活のヒントになったらいいなと思います

6月の夕方、快晴の空、銀杏並木から吹く涼しい風

 

 

6月16日(金)

 


なんか暇だ。

 


昨日東京に戻ってきた。サラリーマンにまぎれて名古屋から13時20分発ののぞみに乗った。

 


珍しく指定席をとったら意外にも席が埋まっていた。午後1番の便だったからかな。仕方なく二人席の通路側を選択した。願わくば女性の隣でありますようにと薄く望みながら席まで向かったけれど、残念ながらパソコンを開いた若いサラリーマンの隣だった。

 


イヤホンをして、吉見俊哉さんの東京裏返し社会学的街歩きガイドを熟読して時間を潰した。

 


確かに指定席は静かだし、食べ物の匂いも一切しなくて彼の言う通り快適だなと、自由席派からの転向を密かに検討したりした。

 


東京は小雨が降っていた。JR上野駅公園口は平日にも関わらず老人の観光グループと家族連れで賑わっていた。

 


東京裏返しガイドで得たうんちくを頭に浮かべながら公園を眺めた。

 


東京は面白い。今に生きる者の視点からして、最先端で話題が絶えない煌びやかな面白さもあるのかもしれないけれど、ここ数百年間ずっと日本の歴史の中心地で、さまざまな事件、ドラマの舞台であった「江戸・東京」のことを考えるともっと面白い。少し歩けばいくらでも史跡が見つかる。かつ現在の東京の活気とそれとのコントラストが強くて、面白い、興味深く思う。

 


ほどなく迎えの彼がやってきて二人でファミレスへ向かった。車内でおにぎりを食べ損ねていたから腹ペコだった。

 

 

 

 


6月1日から6月14日まで実家に帰省し、始めの週は週6(日曜休み)のペースで、そのあとは休みなく働いた。

 


叔母さんと一緒に仕事をしたわけだが、これが意外にも充実した時間で、最終的には叔母さんと二人で過ごす日々が楽しくて、あっさり帰ってしまうのが少し惜しい気がした。

 


叔母さんの手料理が美味しくて、叔母さんの家事をする姿が頼もしくて、嬉しかった。

 


皿洗いも、洗濯も、してもらった。大したことないよ、置いといて、が叔母さんの口癖だった。

 


叔母さんはとにかく仕事に取り掛かるスピードが早い。もちろん仕事も早い。初めはそのスピード感に慣れず、叔母さんは私に気を遣っていて、無理をしているのではないかと不安になったり、自分が叔母さんの仕事のスピードについていけないことを苦しく感じたりしたが、慣れてくると「大したことないよ」は魔法の言葉になった。

 


めんどくさい、やりたくない、と、先延ばしにしたってどうしようもないことを放っておくことこそ、めんどくさい。いつまでも頭の隅に、やらなきゃいけない気掛かりなことをおいておく方が気持ち悪い。考える暇なんてなくていい、家事なんて、仕事なんて、さっさと終わらせてしまえ!

 


たしかにやってみれば、やってしまえば本当に、大したことないことばかりだった。叔母さんはチャーミングで、明るい。秘訣は、行動力だ。大したことない!の精神と行動力が、叔母さんのハッピーな笑顔の秘訣だ。一緒に生活したから、一緒に仕事をしたからこそわかった。なんだか、すごくいいことを学んだ気がする。人の家庭を覗くことなんて滅多にないと思うが、縁あって私は叔母さんと生活して、自分の母親でしか思い浮かべなかった母親像が、窮屈で一本槍だった家庭像が、少し柔軟になって、今後の人生の参考になるような心強い気持ちがした。

 


私は尊敬する叔母さんとせっせと二人で休みなく働き、美味しい手料理をご馳走になり、充実した日々を過ごすとそれから間髪入れずに帰りの電車に乗り、新幹線に乗り、流れるように東京の小さなアパートに帰ってきたわけだが、その翌日である今日、一人暮らしの休日がなんとも暇であることに呆然としながら、東京の昼下がりを冷房の効いた狭い部屋で過ごしている。

 

 

 

自営業で三世代同居の実家は、食事、入浴、睡眠、といった時間が家族共通で、毎日定時に、規則正しく繰り返される。よく言えば健康的だ。実際は家事を担当する者がその規則を揺るぎなく実行するために、細かく時間に振り回され、とにかく慌ただしい1日を過ごすことになる。家事と家事の間に自営業の仕事と、自分の趣味まで組み込めば尚更だ。それもよく言えば、本当に1日というものがあっという間で、これ以上になく充実した日々を送ることとなるとも言える。

 


そんな健康的であると同時に窮屈でもある生活から突然解放されたのだから、この東京の一人暮らしの暇とは、本当に暇なのだ。

 


ただ仕事がないだけじゃない。起きる時間も自由、寝る時間も自由、食事の時間も自由、入浴も自由、外出しようが家にいようが勝手、誰と逢おうが何を食べようが何をしようが勝手、縛られるものが何もない、なんて贅沢で、ちょっと寂しい暇か。

 


叔母さんは元気だろうかと、私が東京に戻ったことで日中は完全に老人ホームの管理人のような生活を余儀なくされる叔母さんの生活を案じる。どうか次会うときにも、叔母さんのチャーミングな笑顔が見られますように。

 

 

 

15時半。それから私は散歩に出かけた。

 


東京裏返し社会学的街歩きガイドを参考に、素知らぬ顔で東大へ入り、大学紛争の渦中であった安田講堂の現在の姿を興味深く眺めた。それから三四郎池に向かうと加賀藩の屋敷であった頃を思いながら元気よく一周した。想像以上の自然(三四郎池の周りは完全に山・立派な雑木林だった)を満喫したら、今度は点在する東大校舎の石造りの厳かな建築を堪能するために、我が物顔で様々なベンチに腰掛けると、銀杏並木から吹いてくる涼しい風を全身で感じながら飽きるまで眺めた。