自分らしく生きたい

自分の体験が誰かの生活のヒントになったらいいなと思います

男女平等とか

 

 

 


はじめに

 

2022年7月に上京し、人生初の一人暮らしを謳歌している23歳です。

 

月経前症候群を少しでも克服するために、その日の調子を振り返った日記をつけています。

 

自分の身体と心をもっと理解したいです。

 

 

 

 

#日記  #月経前症候群 #フリーター #20代

 

 

 

 

 

1月25日 HSPとか のつづき

 

 

男女平等

 


二度寝して17時、起床。

 


生理前日だった一昨日から昨日にかけては、(肩こりが原因の)頭痛もピークだった上に、いつもより吐き気が酷かった。匂いがダメで、いつもは全く気にならない、洗顔やシャンプーの匂いに、嗚咽しながらシャワーを浴びた。痛み止めのせいで、胃がムカムカしていたのもあったのかもしれない。

 

幸い、仕事はお客様も少なく勤務時間も短い楽な日だったので、ことなきを得たが、あの状態で激務だった場合など想像したくもない。吐き気があるから呼吸は浅くて、頭痛やら全身不調で体に力が入らず、立っているだけでやっとの状態だった。集中力だって全くない。まさに使い物にならない状態で、もはや仕事は休んだ方がいい状態だと言える。

 


頭痛の原因が肩こりだと知って、念入りにストレッチをすると、すぐに効果があったようで、昨晩から体は少し楽になっていた。生理もきてしまったら、昨日までの吐き気やだるさが引いて、ダメおしにたっぷり10時間爆睡して起きた今の体はスッキリしていた。頭痛は治まったものの、今度は腹痛に悩まされるので、(既にお腹がピリピリ痛み始めていた)慌ててテキトーな朝ごはんを取って、昨日処方していただいた病院の痛み止めを飲んだ。病院でもらう薬が1番効く。市販薬は回数も量も飲む割に、効き目が薄く、ただ胃だけがムカムカする。

 


生理前の症状がひどく寝込んだ月は、幸い生理中と生理後の症状が軽めであることが多い。逆に何事もなく生理を迎えた月は、生理後にダラダラとだるさが残ったりする。これには1ヶ月単位で、活動量を厳しく制限されているような感覚を覚える。女性は子供を産むために、無理できないように体がデザインされているのかもしれないなどと思った。

 


私自身、生理の不調のせいで寝込むと、この寝込んでる間に色々できたはずなのにと悔しい気持ちになる。しかし元々女性の体力の限界がその程度に設計されているのだとすると、寝込むことは自然なことだとも解釈できる。そう思ったときに、私たち人間は機械ではないというのに、まるで資本主義社会の風潮に呑まれて、大量生産大量消費を理想とした不自然をこそ、無意識のうちに人間の理想像として求めてしまっている気がしなくもない。休息の際に、生産量が低下することを憂いて、焦りや罪悪感を覚えるのならば、既にその不自然に侵されていると言える。

 


これらの話を発展させて、もう何年もこの国でテーマになっている(にもかかわらずうまくいっていない)女性の社会進出や、男女平等の働き方というものに言及してみる。先に書いたように、(前回のブログもぜひご覧ください。前回と地続き、一息でこの文まで書いているので、より熱量が感じられると思います。)資本主義の価値に人間が呑まれることで、男女平等の目的とするところが結局、「たくさん働くこと」になってしまっていては、相対的に体力の少ない女性が、平等のために釣り上げられて、無理を強いられる不自然な形をまとってしまう。

 


従来までの、男性が家事育児を完全に放棄してまでして担われた会社中心主義がまだ残っているところに、取ってつけたように男女平等を取り入れたところで、単純に女性も家庭を捨てて男性並みに働くことを求められるわけだから、そんな不条理がまかりとおるわけがなく、うまくいかないのは当然である。

 


男女が平等に働くことを考えたときに、今はだいぶそのような感覚は減ったが、私が中学生くらいだった頃はまだ特に、選挙権すらなかったはるか昔と同じように、女性が抑圧されているものとして持ち上げられ、男性に近づくよう配慮される構造があり、それがすでに男性優位の思想が根底にあり続けていることを示しており、甚だおかしかった。

 


詰まるところ、男性側が女性側のキャパシティーに合うようにまで、活動量を減らすように制限をかけることで、男女平等を実現することがより建設的であるように思う。男女がそれぞれに持つ絶対的な能力量には、得意分野の違いこそあれ、大きな差はないはずだ。それなのになぜ優劣がついてしまうのか。そこには、体のつくりの違いがある。つまり月経があるかないか、子供を宿すか否かである。当たり前だが、女性は妊娠中から出産後にかけてしばらく仕事はできない。細かいことを言えば、女性は月経により1ヶ月単位で不調の波を繰り返すため、男性のように安定的に能力を発揮することを確かに苦手とするのかもしれない。男性よりも休息が必要である。このように、女性の体は、大量生産大量消費を目まぐるしく掲げた、安定した労働力を求めるような資本主義社会にとっては不利にはたらくことが多く、差がないはずの能力に、社会の都合上に過ぎない不当な優劣がつく。

 


男性の仕事量に制限をかけ、女性のキャパシティーに合わせるとは具体的に、男性にも、女性が必要とする量と同等の、休息の時間を設けるということだ。男女ともに、十分に休息を取れる、柔軟な職場環境にすることで、男女間の能力に、不当な優劣がつかない状態にする。すれば特に活動量をこれまでより少なく抑制された男性には、有余が生まれるはずである。その有余は積極的に家事育児に使ってもらうことが望ましい。今の所この国は、小さい子どものいる若い世代に、育児に、子どもに、手厚い支援をしているとは言えない。血縁関係への縛りも薄れ、(正確に言えば、煩わしいことも多い血縁関係を、従来のように大切にしたところで得られるものが格段に減ったのだ。ともすればデメリットが上回った血縁を、頼ればいいなど簡単に言わないでほしい。)個人個人な現代社会で、圧倒的に助けが不足しているまま育児を行わざるおえない母親に対して、せめて旦那さんだけでも、いつでも頼れる存在としてそばに居させてあげてはどうか。またそんな現代の状況で、子どものできた男性が、母親同等に家事育児ができることは最低ラインではないか。参加などという言葉じゃ足りない、男性だって当然、家事育児ができる、母親同等にできる、言うまでもなく育児休業が男女ともに当たり前に取れる、その最新の常識こそ、長年の課題である女性の社会進出を最も簡単に達成に導き、世間が目指す男女平等に大きく近づくだろう。

 


産婦人科に相談して、生理を止めたりしたら、それは限界突破という不自然を求めることになってしまうのではという違和感があって、なかなか月経前症候群の完治を目指せない、という話がしたかったのだが、かなり寄り道してしまった。今は、完治させなくてもそれなりに、いや結構幸せに、生活できているから踏み切れないだけかもしれない。このような不安定な体でも、幸せに生きていられているなんて、この社会からしたら珍しいパターンだ。私に有余をくれる父に感謝。