自分らしく生きたい

自分の体験が誰かの生活のヒントになったらいいなと思います

概日リズム睡眠障害 新たなお薬? 自分専用の物差しを持つこと

 


はじめに

 

今年7月に上京し、人生初の一人暮らしを謳歌している23歳です。

 

月経前症候群を少しでも克服するために、その日の調子を振り返った日記をつけています。

 

自分の身体と心をもっと理解したいです。

 

 

 

#日記  #月経前症候群 #フリーター #20代

 

 

 

2023年 1月8日

 


目覚めたのは午前8時。よく眠ったのだろう。(もしくは昨日美容室で施された頭皮のマッサージが効いたのか)肩や背中の凝りを一切感じることがなく、いつもより体が軽い。頭の中も、すっきりとクリアな感じだ。

 


トイレに行った足で、そのまま昨晩彼とYouTubeを見ながら食事をとったままの、時の止まったテーブルに手をつける。ルーのこびりついた二人分のカレー皿を流しへ運び、床に脱ぎ捨てられたコートとマフラーを衣装ラックにかける。淡々と片付いていく部屋を眺めていたら、そうだ、先日は敷布団のカバーを洗ったので、今日は掛け布団のカバーを洗濯して、羽毛布団は天日干しによう!と名案が思いついた。

 


天気予報と、お気に入りの雲形クッションが洗濯可能かを調べるために、スマホを触ることになってしまった。せっかく、今朝は起き抜けにSNSをダラダラと見る時間がなく、すっきりと起床できたのだから、このまましばらくスマホ断ちして過ごそうと考えていたのに、悔しい。しかも、その雲形クッションを買ったお店がウィンターセールを開催していることに気づいて、そのまま30分ほど画面から目が離せなくなってしまった。残念。幸い、現在かなりの金欠で、一銭たりとも余剰な出費が許されない現状であったので、今後のお買い物の参考にする程度にざっとラインナップを確認して、画面を閉じた。

 


8時半。すっかりお腹が減ってしまった。洗濯を回している間に、朝食を取ることにする。昨晩の残りのカレーを軽くお皿に移して、新品の牛乳を封切り、少し混ぜてレンジで温めた。クッションと、布団カバーと、溜まり始めていた下着類もネットに入れて一緒に回した。羽毛布団を物干し竿にかけて、洗濯が回り終わるまで朝食をとって過ごした。昨晩見ていた、勇佑が好きなにじさんじというVtuberの歌をもう一度聴きながら、カレーライス小盛りと、納豆を食べた。飲み物はインスタントコーヒー。牛乳をたっぷり入れた。

 


お正月の期間に出せなかった資源ごみの溜まった、煩雑な玄関周りを手早く、できる限り片付けて、昨晩届いたばかりの飲料水を所定の位置に収納した。たっぷりのお湯に浸しながら丁寧にお皿を洗ったら、回り終わった洗濯物を取りに行き、日当たりを吟味しながらも手早く干した。

 


ロフトにコロコロをかけて、充電しておいたサーキュレーターを回す。一階もコロコロをかけて、綺麗になった室内を見てホッと一息つく。今日はその流れで水回りの掃除もした。キッチンの排水溝にはキッチン泡ハイターをかけて、徹底的に滑りを取り、お風呂場の排水溝には以前無印で購入した重曹をかけてしばらく放置してから、使い捨ての布巾と割り箸を使って、奥の方までしっかりと水垢をこすり取って、お湯で流した。

 


清潔になった浴室の、浴槽に熱々のお湯を少しだけ張って、扉を放ち、乾燥し切った室内の加湿器がわりとした。最近、乾燥がひどい。唇がガサガサなのはまだ許すにしても、口の端が切れてしまって痛いのは許せない。もちろんお気に入りの、昔姉がプレゼントしてくれたアロマディフューザーも使用して、加湿と香と部屋全体の除菌消臭の全てを同時進行し、より快適な室内を用意する。

 


今日は物干し竿いっぱいに洗濯物がかかっているので、真っ白なハニカムシェードから差し込む、まるである冬の日の朝に、目覚めると窓の外一面に雪が積もっていた時のような、屈折し部屋中に充満する青白い明かりを、のんびりと眺めることはできないが、お気に入りのはちみつ紅茶を淹れて、今朝からせっせと用意した快適な室内で、ゆっくりと音楽を聴いて過ごすことにした。

 


干した衣類の隙間から、チラチラと覗く陽の光の移ろいを楽しみながら、久々に日記を執筆した。

 


以下、前回の日記を踏まえて。日記を書かなかったこの1週間の様子を簡単に振り返りつつ、その1週間に考えていたあれこれについて。

 


前回の日記にもあるように、一般的とされる食事と起床就寝の時刻にとらわれることなく、自身の体内時計にのみ従って暮らすことを決意した、クリスマス前から年末にかけての間は特に、ほとんど昼夜逆転の日々を送った。12月の中旬までは、遅くとも14時ごろには目覚めて、日光浴のために慌てて散歩に出掛けた。すっかり日が暮れてから家に戻ると、深夜にかけて活動し、朝方眠る生活を送っていた。それが、少しづつずれ込んでいき、月末になると19時から22時ごろといった日没後に起き出して、深夜から日の出を迎え午前にかけて活動し、お昼の12時から15時ごろに眠る生活になっていった。

 


お察しのように、ちょうど新年を迎えたタイミングで、昼夜逆転生活は半周以上回り、以前は起き抜けの夕方に慌てて行っていた日光浴が、(日光浴ができない期間を経て、)今や堂々の午前から正午にかけて(の就寝前に)行うようになっていた。東京都民のお正月三が日の様子を、少しだけ眠い目を擦りながら、のんびりと横目にしつつ、眩しくてちょっと暑いくらいの日の光を存分に浴びてから、日没にはまだ早いが眠るのだった。

 


日没後に起床する、完全な昼夜逆転が続いた数日間はさすがに、いくら体調に合わせた悠々自適な暮らしを送っているとはいえ、少々精神的に弱った。それが昼夜逆転の後ろめたさと言った、思い込みから来るものなのか、実際に自律神経が乱れていたのか、実際のところはいまはわからないが、新年を迎えてお日様の光をたくさん浴びるようになって、早寝早起きの人くらいのリズムになってからは、また調子を取り戻した。

 


年末〜お正月休みの、仕事がない期間をうまく活用して、かなり実験的な日々を送ることができた。この約2週間を振り返ると、どうやら、地球が24時間周期であるのに対して、人間の体内時計は1時間ずれて25時間周期であるという話は本当らしい。というのも、私の必要睡眠時間が8時間から10時間と平均より若干長めであるがために、きっちり25時間になっていないだけで、どうやら日々目覚めが約2時間ずつ、規則性を持って遅れていっているからだ。起床時刻から12時間ほど経つと、創造的な活動エネルギーはだいたい切れて就寝前モードに入り、そこから4、5時間ほど、生産性を求めない緩やかな生命維持を行うと、起床から16時間から17時間程で自然と眠りについた。

 


三が日を過ぎて一拍置いて、5日が仕事初めだったのだが、12月末、仕事納めの頃はほとんど徹夜での勤務の状態が続いたので、眠くてつらくて大変だったが(最終日はあまりの眠さに早退してしまった。)半周と少し回った今は、やけに早起きな人くらいの状態になったので、(一時的ではあるが)状況はやや改善されてホッとした。朝(と言ってもまだ日が昇っていない時刻も含めてだが)起きたら、のんびりと朝食をとったり、半身浴も軽くしたりして、さらに時間に余裕があれば掃除や読書等、ひと通り生活を楽しんでから出勤し、段々と眠くなっていく目を必死に擦りながら退勤し、無事に帰宅したら後は食事もおざなりにあっという間に就寝する、仕事始めのころはそんな日を過ごした。

 


今日は朝8時に目が覚めたので、今日を含めた残り数日に限っては、ありがたいことに社会に適応したリズムで生活を送ることができる。しかしながら明日のシフトはイレギュラーで18時から22時と、遅い時刻だ。明日はおそらく午前10時ごろの起床になるはずだが、なるべくゆっくりと起床し、あまり活動し過ぎず出勤時刻を迎えよう。できれば今日は眠くなってもなるべく長く起き続けて、明日は早く起き過ぎないように気をつけよう。

 


今回の日記を執筆するにあたって、「概日リズム睡眠障害」という言葉の存在を、初めて知ることとなった。同時に、私が日々約2時間ずつ起床時刻が遅れていくこと、またそれに伴って、普段出勤の際に、重い瞼を必死に擦って、やっとこさ起床して(まだ頭の中は半分眠っているというのに)家をでる様子や、もう夜も耽って、明日は仕事があるのだから早く眠らなければいけないというのに、全く眠れることができずに(自責の念に塗れながら)朝を迎えてしまう様子など、それらがその「病気」の「症状」の一つとして該当することも知った。加えて、日中頭がぼんやりとして、慢性的な眠気や倦怠感に悩まされる様子も症状の一つであるとされ、どうやら私がこれまで抱いていたこれらの不調は、月経前症候群のためだけではなかったことを知った。

 


つい先日、この1日を24時間としない生活を自発的に選んだ身にとっては、この生活を「障害」と呼ぶことに、些か不満を感じた。なぜならば、私はむしろこの生活を選んだことで、深く根を張るようにして私の精神を蝕んでいた、消えることのない時間に追われる焦り、その日を他の日と相対的に比べた時に生まれる成果の量でしか、価値を感じることができなかった、別のある種の病気から、革新的に解放されたばかりだったからだ。

 


私を「障害者」にしているのは、紛れもなくそれを障害とみなす社会がそこにあるからだ。もしも社会が、一般的とされるものから外れた生活リズムを持った者にも、きちんと活路を与えていたならば、私は、私たちは、障害者ではない。

 

要するに、一般的でない生活リズムを持った者は、より自発的に自分自身の活路を、居場所を、見つけ出す必要がある。少し棘のある言い方をしてしまうが、身近な集団に属し、その集団が行く方向にとりあえずついていくような(その結果多少自由は制限されるが)、決定する意思も、責任も、他人任せにできる楽な生き方は、私たちにはできない。

 


つい愚痴をこぼしてしまうが、生まれ持って搭載されたエネルギー量も、そのエネルギーが活きる場所も時間も、人それぞれ違うというのに、社会というものは、エネルギーに満ち溢れた、よく従いよく働く者か、もしくは扱うことが容易な、平均的な人材のためばかりにあるのではないかと、思ってしまう。

 


初めは腑に落ちなかったが、確かに、おっしゃる通り私はその障害のせいで、そもそも社会に適応することを諦めてしまっている。

 

 

 

ひょんなことから、本日付で私は、誰から言われたわけでもないのに、絶えずどこからともなく聞こえてくる、平均的かそれ以上の健康体が絶対的に支配する社会の、屈強な精神論というようなものに蝕まれて、必要以上に自分で自分のことを怠け者だとか、精神的に弱いだとか責めながら、鬱々と日々を過ごさなくても済む、良いお薬として、月経前症候群という病名に加えて、概日リズム睡眠障害という病名を新しく手に入れた。

 


私は別に、これらの病名を盾にしたり振りかざしたりして、自身のあらゆる行動を正当化しようなどとは一切思っていない。また、私の持っているような弱さを、受け入れることがどうしても難しい社会を、病気であることを逆手にとって、悪戯に非難したいわけでもない。ただ、私がこれからの私の未来を、私らしく生きていくために、今一度まっさらな物差しで、自分自身を測り直してみたいだけなのだ。もしもこうやって病名がつくことで、出どころのわからない非難を受けることでがんじがらめになった生活から、一歩でも前進することができるのならば、活用するよりほかない。不本意ながらもついた病名は、漠然としているにもかかわらず頑強な「普通」と、反対に軟弱な「私」とのその差異に、荒らされ汚れた私の物差しをリセットし、自身を測り直すための客観的な材料として、大いに役立つ。

 


学生時代は特に、子供が健全な状態で社会へと巣立つために、ある程度の矯正は行使された。その際に使用していた物差しのまま、自身を測り続けても、いつまでもそこに表れるのは、模範生との差異か、他の誰かから見た自分でしかない。結局その物差しが指し示すものとは、健康的で勤勉といった、より社会が求める理想的な人間になることでしかない。

 


私はもうとっくに、家族や学校や、社会から求められた、あるべき自分の理想像を追い求めて生きることには、疲れ果ててしまっていた。いや、勘違いしてはいけない。自分をただの可哀想な被害者にしてはいけない。そもそも、10代の頃に描いた自分の理想像には、例えば親の姿であったり、もしくは志望校に先に合格した先輩の姿であったり、はたまた尊敬する作家さんであったり、意識的であるかの強弱に関わらず、影響をうけ、ひとまず目標としていたモデルがいたはずだ。外部から用意された以上に、自分自身が用意した、憧れという名の、目の荒い物差しで自身を測り続けてはいないか。

 


今一度まっさらな物差しで自身を測り直すというのは、詰まるところ、社会が用意した理想像や、「普通」を基準にした物差しでもなく、無意識的に用意した、刷り込まれた身の丈に合わない物差しでもなければ、意識的に用意した、憧れという名の他人を理想とした歪んだ物差しでもない。ただ自分が使い、自身を正確に測ることが可能な、自分専用の物差しを用意することに他ならない。

 


なりたい自分の理想像を高く設定し、大きな目標に向かって、日々成果をたてながら、エネルギッシュに生きることももちろん悪いことではない。まさに今までの私はそうやって生きてきたし、その間に磨いた技術は今の生活に大いに役立っている。

 


しかしこれからは、必要以上の刺激は避け、ささやかな日常を送って行けたらと思っている。それは、誰かから言われたことや、世間一般で「普通」とされることに、必要以上に振り回されたり、人と自分を比べて、一喜一憂することがなく、自分一人が、ただ生きていくためだけに必要最低限なものを選択した暮らしだ。

 


その暮らしは、自分が何に満足し、本当は、どう生きたいのかを知るところから始まる。それを知るためになくてはならないものが、自分専用の物差しというわけである。

 


自分専用の物差しを持つためには、何気ない日常の中で、不自然に感じるものに出会った時に、それがなぜ不自然に感じるのかをよく考える必要がある。だから最初に必要なものは、立ち止まることができる柔軟な身体である。それからその不自然さの正体を突き止める為に、知識や経験を増やし、情報を集める。この作業には、忍耐力を要する。すると、初めは荒い物差しの目も次第に細かくなっていく。そして、その不自然な状態をできる限り自然な状態へと変化させるために、時には自分の価値観を変えたり、思い切って周りの環境を変えたりと、試行錯誤を重ねる。そのうちに、自分専用の物差しはより研ぎ澄まされた状態で、自然と身に備わっていく。

 

 

 

と、思いつくがままにつらつらと、ここまで書いてきた。途方もなくなってきたので、今日はここまでとする。