自分らしく生きたい

自分の体験が誰かの生活のヒントになったらいいなと思います

母が他界して、半年になります。

 

はじめに

 

今年7月に上京し、人生初の一人暮らしを謳歌している23歳です。

 

月経前症候群を少しでも克服するために、その日の調子を振り返った日記をつけています。

 

自分の身体と心をもっと理解したいです。

 

 

 

東京に来る前は、実家暮らしをしていました。

 

今回は、その頃を振り返った内容になります。

 

 

以下、iPhoneメモより

 

 

 

 

2022.10.

 

 

母が病気で他界して、もうすぐ半年になります。

 


母は完治不可能な癌を患い、2年9ヶ月間、闘病生活を送りました。

わたしは最期から数えて1年半、母の隣で暮らし、そして看取りました。

 


当時、私は20〜22でした。

私は美大受験のために、長々と浪人生活をしていました。だから病気の母に何かしてあげられるような経験も知識もない上に、自分自身についても、心に余裕のない日々を送っていました。

 


対する母は昔から太陽のように明るくパワフルで、闘病生活中も変わらず、病気であることを忘れてしまうほどにポジティブでした。

 


だから一緒に暮らすことになっても、ほとんどのことを母は今まで通りにこなし、わたしは母が治療を受けた後の、調子の悪い日にだけ手伝いをする程度で、母がいつも通りに暮らす様子を横目に見ながら、自分の作品制作に明け暮れ、世話を焼かせ、たいして気の利いたこともできずに暮しました。

 


母とは何度も言い合いになることがありました。

 


今思えばこの言い合いにおける母の言い分の中には、病気に対して全く弱音の吐かなかった母からの、SOSが混ざっていたというのに、私は耳を傾けることができませんでした。

 


母がベットから完全に起き上がれなくなったのは、最後の1ヶ月から2ヶ月程度でした。

 


余命宣告は以前から何度も受けていたものの、尋常でないほどに痩せ細り、薬と、病の苦しみで意識が朦朧とする母を見て、初めて私は母が死んでしまうことを認識しました。

 


その時にやっと、自分のこれまでの愚行に、自身の幼さに、気がつきました。

 


一緒に暮らしていたというのに、あんなに時間があったというのに、わたしはなにをしていたのだろう、まだ、間に合うのだろうか、何か、してあげたい、なんでもいいから、してあげたい、今からできることはなんでもやろう、それから私は、母のために本気になりました。

 


母は、私が母を看取る決心が着き、看病もやっと少し板についてきたという頃に、息を引き取りました。

 

 

 

 

 

 

呆気なく行き場を失った、有り余った私の母を想うエネルギーは、その後の私の行動力に変わりました。

 


誰かが母の代わりをしなければいけなくなり、私は必死になりました。

 


母の代わりに仕事をしました。

母の様に仕事をしました。

 


母が、私にしてほしかったことは知っています。何度もそのことで言い合いになりました。家の仕事のことと、暮らしのことでした。

 


母が、どのように暮らしていたかも知っています。いつも通りに暮らす母を、1年半、私は隣で見ていました。

 


あの時、してあげられなかった分を、仕事を、暮らしを、わたしはこなしました。

 


また、母がこれからも続けていきたかった穏やかな日常を想い、なるべく、母が大切にしていたものを変えてしまわないように心がけ、母の暮らしの形跡を辿るように暮らしました。

 


半年間、何度も母を思い返しましたが、母の死が悲しくて思い返すことは少なく、思い浮かぶのは、私が母の代わりに仕事をこなしたり、母の暮らしをなぞるように生活する中で感じた、母の力強さや、幸運を引き寄せるような前向きさ、明るさと言った、母の満ち満ちとした生きる姿でした。

 


母を思い返すたびに、その強くしなやかな、生きる姿に、尊敬する気持ちになりました。

 


また母を一層強く感じるのは、意識せずとも何気ない自分の感性に、母の影響が現れる時でした。

 


半年を経て、わたしは新生活を始めています。

 


母と暮らした家を離れて、母とは縁のない場所で生活をしています。

 


けれど、趣味や、買い物の仕方、言葉遣いや、愛情表現、作る料理に、我ながら母の面影を感じ、わたしはその度に温かな気持ちになります。

 


そして、母を思い生活しているうちに、自分の中に、母のようなポジティブでパワフルな行動力が生まれていることに気付きました。

 


知らないうちに、母と同じようなメニューと味付けで料理が作れるようになっていました。

 


仏壇の前で母に手を合わせたことはないけれど、私の日常にふと母の姿が思い浮かぶたびに、その都度手を合わせるような気持ちでいます。

 


最期に一年半、母と暮らしたことで身につけることができた生きる力、暮らしを楽しむ心、ポジティブな気持ち、家事や料理のスキルは、母からの最後にして最大のプレゼントで、わたしの宝物です。