自分らしく生きたい

自分の体験が誰かの生活のヒントになったらいいなと思います

春の匂い

はじめに

 


2022年7月に上京し、人生初の一人暮らしを謳歌している23歳です。

 


月経前症候群を少しでも克服するために、その日の調子を振り返った日記をつけています。

 


自分の身体と心をもっと理解したいです。

 


#日記 #月経前症候群 #フリーター 

 

 

 


2023年 2月1日

 

 

 


深夜3時。8時間寝て目が覚める。やっと体が楽になった気がする。布団に横になりながら、今日をどんな日にしたいか考えた。買い物に出掛けて、何かおいしい料理が作りたいなと思った。食欲や心の落ち着きが、やっと正常に戻ったのを感じた。この1週間、目覚めと共に体の不快感に悩み続けた。心がザワザワと落ち着かず、原因不明かつ解消しようのない、漠然とした苦しさ、寂しさに襲われ、何をしても、心が急いていた。

 


まだ朝は先なので、とりあえず日の出まで時間を潰すことにする。作ってから数日経ってしまったが、残り物の最後の一杯のポトフに、すっかり固まってしまったお米を混ぜて、レンジで温めて食べた。日が昇ったら、まず溜まりに溜まった洗濯物を洗って干して、それから買い物に出かける。

 

 

 

 

2月7日

 


やっと、体調が落ち着いた。

 


昨日一昨日は、久々にじっくりと机に向かうことができた。新しい絵を描いたり、絵日記に色を塗ったりした。休日で、洗濯を干したり、部屋を掃除したり、買い物にもいってたくさん食材を買い、朝昼晩と三食料理もできた。

 


先週は特に、読書の世話になった。月経が終わったというのに、肩こり所以の頭痛が治らず体もだるかったから、あまり今詰めた作業はせず、なるべくリラックスできる環境を選んで、好きな飲み物を用意して、本を片手にゆっくりと過ごした。

 


二日間連続で海に行った肉体的な疲労があったのかもしれない。前述したように、精神的にはかなり充実していたから、読書には励めた。海に行ったことは、脳の良いリフレッシュになったようで、いい意味でぼんやりと過ごすことができた。しかし、休日前に退勤して帰宅後、鏡を見たら、驚くほどに顔面蒼白で、目の下にはくっきりと青いクマができていた。すぐにお湯に浸かった。肩が凝って、体が疲れていた先週は、湯船に浸るのが、いちばんのリラックスになった

 


そうだ、私は海に行ったのだ。先週、始発の電車にのって、海に行ったことを、もうすでに忘れかけていた。海に行って、取り戻した心の落ち着きは、1週間で失いかけていた。

 


また、中学の頃から続く、心が不安定で、漠然とした焦りに決断や行動を支配されるネガティブな思考回路に陥り始めていることに、こうやって日記を書いているうちに、今気がついた。

 


海を思い出さねば。私は確かに海を見て、それからも、心に海を思い出すことで、何度も安定を取り戻していた。一切の焦燥感をすて、うまくのんびりできていた。あの海を忘れてはいけない。

 

 

 

 

 


マフラーを巻かずとも外を歩ける気温になった。手袋は、もう昨日の時点ですでにいらないことに気がついた。いつもはレッグウォーマーを仕込んでいたが、今日はなくても大丈夫そうだ。

 


以前より、ぐんと春の匂いが増した。春の匂いとはなにか。枝先いっぱいに実った蕾から溢れる花の蜜の匂いだろうか。土がホカホカと蒸れる匂いだろうか。

 


ビルの影に入り、冷たいビル風が吹く中は、春の匂いがしなかった。春の匂いとは、アスファルトかコンクリートかが、たとえば5度から15度といったやや低温から常温に上昇する際に発生する熱の匂いなのかもしれない。

 

 

 

 

 

鬱陶しい。着こまねば寒いが、始終暖房をつけるほど極寒でもなくなった、うっかりすると体が冷え切っているような意地悪い寒さの室温に苛立つ。私は肩が凝っているのだ。肩こり所以の頭痛が治らず、かれこれ2週間も経つ。

 


南国に行きたい。無造作に一枚の布を見に纏い、肌を大胆に露出させ、燦々と照る太陽を浴びて、裸足で生活する南国で暮らしたい。ああ、何重にも纏った衣類が鬱陶しい。肩が詰まる。首が回らない。背中が重い。

 


昨晩、珍しくビールを飲んだ。海を見てから、なんだかやけに誠実に、穏やかに、おとなしく生活しすぎていることに、どういうわけか不安を感じた。いやただ、退屈になってきただけなのかもしれない。それか、そろそろ退屈を感じる予感がしたから不安になったのかもしれない。普段は酒といえばチューハイばかりだが、だから今日はビールの気分だった。クラフトビールなら飲める。昨日今日は一日中机に向かって、絵を進めた。そのご褒美にお酒を飲もう。晩御飯は鍋にした。ひと缶飲み干して、レモン杯も少し飲んだ。完全に酔っ払って、子供みたいに彼に甘えた。

 

 

 

 


目が覚めた。歯も磨かず、風呂も入らず寝て、内臓もなんだか消化不良な感じで、気分は悪かった。昨晩、直感的に酒を飲んだ方が精神に良い気がしたのは、見当違いだったのだろうか。仕事に行くのが億劫に感じた。しかしそれにしてはまだたっぷりと時間があった。

 


小一時間布団でゴロゴロとしたら、部屋を片付けた。食べ残したままの皿を洗って、朝食の準備をした。生ゴミをまとめて、流しを軽く磨き、床にコロコロをかけた。少し休んだら、顔を洗って、身支度を整えた。普通に暮らせば良いのだ。普通に、淡々と。

 


なのに、それがやけに面倒くさくて、ものすごく退屈に思う時がある。普通の生活を、淡々と繰り返すことを、気味悪く、怖ろしく感じる時がある。

 


こんなにも平凡でいいのだろうかと、普通の幸せというものを、つい疑うときがある。弾け飛ぶような快楽を、変化に富んだ新しい日々を、ただ平凡な日々から抜け出す手段として、どうしよもなく求める時がある。