自分らしく生きたい

自分の体験が誰かの生活のヒントになったらいいなと思います

アート作品見てたら蚊に刺された話/勇気を出してギャラリーに行った話

 

 

 


名古屋の旧商店街の古びたビルで、アート作品の展示があった。詳細は忘れてしまったが、確か予備校の紹介で手に入れたDMを頼りに、高校生の私はひとり、そこへ向かった。

 


夏だった。外は暑かったが、ビルの中の閑散とした感じに、年季の入った空調で心ばかりに調整された室温以上の、涼しさを覚えた。

 


南側に面した部屋の、日焼けて白っぽくなった真っさらな床に、無数のガラスの砂時計が置かれていた。

 


カラフルで、様々な形をした砂時計たちは、各々が各々に日の光を存分に浴びて、輝いていた。キラキラは単純に美しい。この作品にそれ以上にどんな美しさが、それ以外にどんな意図が、込められているかはわからなかったけど、なんとなくいいなと思ったから、写真を一枚とった。

 

他の部屋に向かう。

 


薄暗い部屋には、映像が流れていたが、その内容は覚えていない。

 


壁に絵画がかけてある、オーソドックスな部屋もあったが、どんな絵画かは忘れてしまった。

 


黙々と上の階に進んでいく。ある部屋に、大きめのビニールプールに、擬似的な池が作ってあった。水草がところどころに浮いていて、でも水に流れとかはなくて、はっきりとは覚えていないが、至極簡易的、至極人工的な、水溜りという感じだった。

 

そこで、私は蚊に刺された。突然腕の一点が痒くなって、すぐ目の前の池に、激しく心当たりを感じた。多分、いや間違いなく、この池で生まれた蚊に、ここで人間が来るのをしばらく待ち侘びていた蚊に、いましがた刺されたのだと結論ずくと、一目散に部屋から退散した。

 


あの池はなんだったのだろう。何ひとつ、池の意味はわからなかったが、はっきりいって、あの展示が失敗に終わっていることは(言い過ぎかもしれないが)わかった。だって、蚊に刺されて、(きっと一匹どころではない、たくさんの蚊があの部屋には生息している。水辺があり、日陰で(北窓の部屋だった)程よく涼しくて、たまにぼんやりと間抜けに突っ立つ人間もくる、蚊にとって絶好の生息地だった。人間からしたら地獄だ。)鑑賞どころじゃなかった。これはおそらく、作者の意図に反した事態のはずだ。きちんと作品が管理されていないことに、作者に対して、このビルの運営に対して、懐疑的に思い、少し腹が立つ思いになった。

 


気を取り直して、最後の部屋に向かう。部屋には、地域でアート活動をした、その記録が展示されていた。どうやらこのレポートを作った彼ら彼女らは、子供から大人までの街の多くの人々と、密接に関わっていたようだと、なんとなく映像的に思い出せる。子供には、何か手作りの講座のようなもの、観察日記のようなもの、アート的なアクションを起こさせたという内容。大人には、活性化とか、支援とか、人の輪を作ることを手助けするようなアクションを起こしたという内容。展示に行ったら、文字は、できるだけ読むようにしている。勉強してるからって、私だって、アートって、いまいちわからない。文字だよりだ。

 


帰りは、ビルの外壁に面した、鉄格子の非常階段から降りて帰った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校生の時、たしか毎月5千円、お小遣いをもらっていた。大体2ヶ月に一回か、たまに間が空くから、正確には3ヶ月に約一回のペースで名古屋に行って、美術館やギャラリーを回った。

 


1ヶ月間お小遣いを使わなければ、2ヶ月経てば単純に1万円が貯まる。1万円は、大金だ。もちろん、きっかり1万円貯まることはなかったが、そうやって貯まった6千円か7千円かを財布に入れて、名古屋に行った。電車代と、美術館のチケット代、ご飯代、友達といった時には、他に映画をみたりしたから、そのチケット代、プリクラ代、カラオケ代、古着が好きだったから、ごくごく稀に服を買って、そうやって財布をほとんど空にしては帰った。

 


ルノアールとか、モネとか、ミュシャとか、ピカソとか、みた。家具とか、宝石とか、器とかも、見た。北欧とか、中国とか、古代とか、現代とか、特にこだわりもなく、色々みた。案外、地元の美術館で、日本の洋画とか、近代の日本画とか、味わい深いものをじっくりじっくりみることができた。松坂屋院展には、日本画を専攻していたからできる限り行ってみた。東京に行く機会があれば、必ずどこかの美術館にいった。友達と京都に行って、寺めぐりをした。そういえば、普段あまり会うことのない名古屋に住んでいる一個下の従妹と、2人で歌川国芳を見たりした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は高校一年生の秋に、東京藝術大学の文化祭に遊びに行ったことがある。好奇心旺盛、行動力のある姉に連れられて、尻込む私は姉を追いかけるようにして、校門をくぐった。

 


屋台とか、浮かれた匂いのするところは、大学生が怖くて、目を合わさないようにしてたから、全然覚えていない。でも上野公園のマーケットの通りは、好みだったから覚えている。似顔絵を書いてもらったし、ポストカードも買った。どうやら神輿とかサンバとかについては、全く記憶にないから、多分そもそもみていない。

 


芸大の教室は、白くて、明るくて、静かだった。白くて明るい箱に、作品がぽつり、ぽつりと置かれている。部屋から部屋へ、巡る。作品を、みる。心が落ち着いた。帰りに見返したら、日本画の教室で、1番多く写真をとっていた。1番好きだった絵も日本画だった。(その絵の作者さんのインスタは、それ以来ずっと追いかけている)だから私も日本画専攻にしようと、確信を持って決めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一浪の夏に、東京芸大の一年生(か二年生?)の、ギャラリーの展示へいった。そのころは巨匠とか、プロとかじゃなくて、学生の展示がとにかく見たくて、特に第一志望だった東京芸大生の、年の近い人の作品が見たくて、SNSを追って、初めて足を運んだ。

 


真夏の、カンカン照りの日だった。夏空と、アスファルトのあいだで、ひたすら焼かれた。駅から結構歩いた。東京って、結構坂が多いことを知った。ビルや、マンションの出入り口から排出された、キンキンに冷えた冷気に励まされながら、歩いた。

 


へとへとになて、ギャラリーについた。小さなギャラリーだった。小さなギャラリーに、小さな絵が、壁のアイレベルに沿って、小気味よく並んでいた。花だったり、熱帯魚だったり、虫だったり、月だったり、模様だったりが描かれている。

 


へとへとになて来た、見るからに幼い中高生風の私のことを気にかけてくれたのは、塾の講師にも一度だけ来てくれていた、別校舎の先輩だった。といっても、私が一方的に知っているだけなのだが。デッサンの先生が、彼のことをすごく気に入っていたし、私も彼の的確ゆえに簡潔なデッサンを尊敬していたから、私は彼のことを一方的によく覚えていた。

 


他にも芸大生が4人ほど奥にいて、男女入り混じりワイワイしていた。ちょっと怖い。〇〇塾××校だって!と私のことを話題にはあげていただいたものの、特に縁のある先輩はおらず、鎮火。

 


ちょっと、生意気なこといってしまうが、なんだか、私これ描きましたとか、簡単でも一言、絵の前に立って何か話すくらい、作者だったらしてもいいんじゃないかと、奥でワイワイしているのを見て、ほんの少し思ったりした。当時、私は大学という場所が、多くの若者たちにとって、純粋に学問を極めるために行く場所ではなく、将来少しでもいい会社に就職するための切符をもらう場所であるような、ともすると惰性的で、無駄に贅沢な場所であることに嫌悪感を抱いていた。

 


もちろん、私は想定されたお客じゃないのだろう。だから無視。どう見ても、絵は買わないだろうから。

 


ギャラリーという場所に、社会見学に来るだけでもいいのかと、出会い厨だと思われてしまうのではと、それなりに抵抗を持ちながらも、勇気を出して来たのだ、わたしは。暑かった。へとへとだ。別に、期待外れとかじゃないけど。

 


ただ、お客だろうがそうじゃなかろうが、人に自分の絵をすぐそこで見てもらっているのに、無関心なのは… どうなのだろう。わからないけど、もし私だったら、相手がたとえお客じゃなくても、作品を見られるのだから、その反応が気になると思うけど、いや、大学生になって、浮かれてて、友達付き合いに夢中になっている未来の私の姿も、想像できなくもないから、あまり言いすぎないようにしよう。

 


最初に私のことを気にかけてくれたその先輩は、結局最後までこちらに顔を出して、様子を伺ってくれた。たしか、塾の話とか、絵の説明も簡単にしてくれたと思う。とってもとっても、真面目な人なのだと、感心した。

 


私は、もし大学生になったら、彼のようでありたいと思った。

(その真面目な彼のインスタは、それからずっとチェックし続けている。最近、彼に親切にしてもらったそのギャラリーで、彼の個展があった。個展は盛況で、作品も何点か売れたらしい。活躍されているようで嬉しい。しかるべきように物事は進むのだと、ひとりで満足する。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


…4、5年、高校生の時なら6年も前のことだが、意外と覚えているものだ。きっと、都度写真をとって、たまに見返したから、記憶に残ったのだろう。(もう随分前にそれらの写真は消失しているが。)

 


しかしきっと、こうやって結構思い返せるということは、どれもなかなかに面白い展示だった、ということなのかもしれない。