2024年10月9日
今月は特に、バイトを余分に入れすぎたと思う。
まあ、細かいお金の勘定については置いておいて、来週一週間実家に帰るというのに、その準備をするチャンスが今日か、明後日の金曜日(出発前日)しかないのが、何とも余裕がない感じで、なぜこんなに忙しくしているのだろうと何となく不満に思ったわけだ。
まあ、大した仕事をしているわけじゃないから、仕事から帰った夜にでも準備をすればいいじゃないかと言われれば、そうなのだけど。いや、そうじゃないんだよなー。やっつけ仕事にはしたくなくて、じっくりやりたいのだ、自分の作家活動については。
今日やったことは、出店用の商品や用具を含む荷物(100サイズ段ボールにいっぱいだった)の準備から発送までと、衣類の洗濯。今日も今日とて雨だったから、徒歩5分ちょっとのコインランドリーにて洗濯乾燥機を利用。
このコインランドリーについてだが、確か3日ぶり、今回で2度目の利用である。9月の終わり頃から、頻繁に雨が降り、気温も急激に下がり、バイトとの兼ね合いも悪く、休日の洗濯がうまくいかなくなった。
住んでいるアパート備え付けの共同の洗濯機、乾燥機の清潔さは以前から気になっていたし、住民と使用するタイミングがかぶることも多々あって厄介で、少し歩くがコインランドリーを利用してみようと、3日前の夜に彼と意気投合して、深夜11時ごろに、生乾きの大量の衣類を二人で抱えて出かけたのだった。
それで、今日は洗濯まで無事完了し、来週の準備や段取りを終えて、洗濯乾燥機の待ち時間に一旦家に戻って進めておいた夕飯の親子丼作りを18時ごろ再開して、煮込みながら部屋を片付けて、完成した親子丼を一人で食らって、彼氏が大学でMacにダウンロードしておいてくれた映画「スギメ(3万年前の航海 徹底再現プロジェクト)」をみた。面白かった。
満足して、20時に図書館へ行って、閉館まで過ごした。初めて児童図書のコーナーに立ち入った。全体をざっとみて、気になったいくつかを立ち読みし、数冊借りて帰宅。なかなかに有意義な時間だった。また子供達のいない時間に利用したい。
職業についての図鑑にボカロPとかあって、進化してるなぁと。てか、ラノベがたくさんおいてあってびっくり。嬉しい。ラノベ、中学生の時ハマってたから。小説や図鑑、その他諸々、読みたい本ばかり。読みたいというか、今、読んでおかねば、という焦燥感のようなものがある。なるべく早く出会っておかねば、という何か。
児童書を見ると、小学生の頃は本をけっこう読んでいたということに気づく。The本好きな子供よりは断然読んでいないけど、それでも見回すと、あれもこれもシリーズごとに夢中になって読破した思い出がある。かいけつゾロリも、わかったさんこまったさんシリーズも。レインボーマジックシリーズ、フェアリーレルムが大好きだった。あんびるやすこさんとか!超懐かしい!大好きだった。青い鳥文庫〜!若おかみは小学生、黒魔女さんが通る、読んでたわぁ〜…。
中学生になって、唯一ラノベ(あと何故かお菓子作りの本。作るわけじゃないけどデザインや写真、文章と写真の塩梅が好きでよく眺めてた。)は夢中になって読んだけど、それ以外の普通の(?)小説やその他諸々の本、つまり大人向けになっていくような活字たち、ほとんど読まなかった。
高校生の時なんかは、その頃世間で話題になっていた小説を実際どのくらい面白いのかと試しに読む(お笑い芸人の又吉直樹さんの火花、恩田陸さんの蜜蜂と遠雷など)というのが1年に1冊あったかなというくらいで、ほんと、片手で足りるくらいしか読んでいないと思う。
なぜって、学校生活をこなすことに手一杯で、毎日はあっという間に過ぎ去り、本を読む余裕がなかった。いや、気晴らしの娯楽が十分にあったのが原因か。ソシャゲもコツコツやってたし、スプラトゥーンとかやってたなー。
あと、本は、何だか馬鹿にされているような?気がして、読みたくなかったのだと思う。学校の勉強よりも大切なことが書いてあるんだよ、という雰囲気が癪だった。その、多少蔑ろにしたって構わないような学校生活とか人間関係とかに、私が精一杯で、どうしても人からの評価とか、普通さとか真面目さのようなものにすがりたがる打算的な自分に気付かされる、向き合わされるのが嫌だった。のかなと、振り返って今の感覚で推測してみる。
小説の、世の中にいる、人間の生活を俯瞰して描かれるような感じも、何だか自分がちっぽけな感じがして、むかついた。小説家の手のひらの上に乗るみたいなさ、?、人の人生なんか知るか!っていう、ガキだなー、そういう気分だった。
とにかく、学校の勉強に手一杯な自分を、たぶらかす、気持ちを変に揺さぶられる、リズムを乱されるような毒のような感じがして、本を読むことはほとんどあえて避けていたまである。振り返ってそう思う。
そういえば、新書、評論は好きで、冊数は少ないものの能動的に読んでいたことを思い出した。
あ、そうだ、でも、高校入学したての頃に、先生に何を読んでるのかと表紙を覗かれた時、ちょうど哲学のなんかすげー難しそうな本を読んでしまっていて、え、そういう系を好んで読むんですね(引き)というリアクションをされたのが恥ずかしすぎて、難しい本を読むのも痛いかもなと思って気が進まなくなったのだった。印象に残っている新書は孤独死の実態で、何の変哲もない静観な住宅街?団地?で、何ヶ月も前に亡くなった遺体が見つかって云々…異臭に気づくとか気づかないとか云々…というもので、確かそのほかにも貧困とか発展途上国が抱える問題とか、弱者についての本を選んで読んでいた気がする。あまり覚えていないから人生を変えるほどには刺さらなかったのだろうなと想像する。ほんとこれも多分片手で数えられる程度の冊数しか読んでないだろうが…。
2024年10月11日
午前10時45分ごろに目が覚めて、それほど目覚めは良くなかったけど布団でダラダラするのが嫌で、ふらふらとロフトを降りてブラインドを採光モードにしてぼーっとする。
今日はやっといいお天気の日で、勿体無いから洗濯がしたくて、体が起きてくれるのを床で緩く体操座りをしながらしばらく待ったら行動を開始した。
本当は起き抜けにそのまま机に向かって黙々と絵とか描き始めたっていいなという気分だったけど、明日から一週間家を空けるし、今日に限っては大人しく家事に専念した方がいいよなと。
完全に夏は終わって、秋が来たと思ったら急に肌寒さばかり感じる気温になってしまったけど、今日みたいに陽が照っていると日向は汗ばむくらいで、洗濯を干し終えたらいい感じに体が温まって、納豆卵かけご飯も食べたし、悪くない体調に気分も良き。
お皿洗いとトイレ掃除は今日の絶対の任務で、ちょっと億劫だったから一旦読みかけの本を開いたり部屋をうろうろしたりしたけど、コーヒーまで飲んでしまったらえい!っと勢いで始めた。トイレ掃除の流れで浴槽もピカピカにして、お皿も洗ってスッキリ。任務完了したのが14時20分くらい。そのあと明後日の出店で使う釣り銭が心配になってお金おろしたりで外うろうろして、15時30分くらい。時間も丁度良いくらいになったところで今日も今日とて国際子ども図書館へ向かう。
休日毎に国際子ども図書館に通い詰めて読み進めていた、上橋菜穂子さんのエッセイ「物語ること、生きること」を読み終えて、大満足。
上橋さんのオーストラリアでのフィールドワークの苦労を思うと、何だかものすごくありがたく、深々と感謝してあの素晴らしい物語たちを読まねばと感じる。作家と研究者の二足のわらじを履いたからこそ生まれる、引き込まれるリアリティに溢れたファンタジー…。
幼少期から大学生活までの作家上橋菜穂子さんを形成した様々な経験、そこにある上橋さんの探究心、向上心、情熱、上橋さんを育てた家族、友人、土地の縁、たくさんの魅力に圧倒される。など、思いついたことを追記…。
閉館までの残りの数分で次に読みたい本のあたりをつけて帰路へ。まだまだ読みたい本ばかりだ。通い詰めるぞ。何だか、充実。充実そのものを感じる。すごく心地がいい。今一番お気に入りの私の居場所、それは国際子ども図書館の中高生向けの資料室…。
外に出るといい感じの夕暮れで、風景の全体が薄明るいパステルカラーの黄色から桃色、水色に染まっていて、ところどころが濃いコーラルレッドの夕日色に燃えている。
本当は科学博物館に寄る予定だったけど、金曜日だから18時閉館だと思って向かったら17時に閉まってた。
だから諦めて、人の流れに身を任せて駅の方まで降りて行き、ヨドバシでカメラのSDカード買っておくことにした。
でも、ちょうどいい支払い方法を持ち合わせていなかったから(現金不携帯なもので)、大学が17時に終わり、こちらに向かっているという何ともタイミングのいい彼氏に助けてもらうことにした。
ちょっと奮発して前回より性能の良いSDカードに決めて、購入。それから日没後の薄闇をはらぺこの状態で歩いて、ようやくたどり着いたファミレスで彼氏とちょっと贅沢な晩御飯を食べた。私はステーキ丼とサラダを注文。(良きチョイス。かなり美味しかった。)彼氏の愚痴とか聞いて、乗っかって自分の愚痴(意見)とか言い合って、しょうもないことでヘラヘラ笑って、なんか楽しくなって、最後の晩餐(明日から一週間別々だから)とか言って、締めにデザートのミニパフェまで食べて満足して帰宅。
家に着いて洗濯物を取り込んで、明日の荷物を整頓したら本を読んだ。あと、ネイルもした。明日、明後日の予定がいろいろ楽しみでニヤケが止まらない。しばらく本を読んだら足が冷えたので数ヶ月ぶりに浴槽にお湯を張って入浴。
…と、1日の流れをつらつらと書き込んだけど、本当に書きたいことは、上野菜穂子さんのエッセイがどのように面白かったかとか、ネイルが自分のあまりの大雑把さに酷い出来になったけど、それでも可愛いこととか、明日浜松で初めて高校の友達と遊ぶのが楽しみで仕方ないこととか、お風呂が暖かくて気持ちよかったこととか、ファミレス美味しかったこととか、あと、前回の日記について、読書の意義、小説を読むことの面白さを深掘りしたい(昨日バイト中に思いついたのだ)ことだとか、あと映画スギメのもっと詳しい感想とか、…本当はいろいろあるのだけど、それらを書き起こす際に使うエネルギーが、けっこう膨大に必要な感じがして、ちょっと躊躇ってる。というか、最近あまり頭を使いたくないのだ。今も、しゃべるようにして思いついた順番に打ち込んでる感じで、去年とか、もっとものすごく頭を使って、丁寧に描いてた、あの情熱、すごかったよなぁ…とか思うくらい。まあ、読み直して簡単に付け加えられる部分は加えたりしたら、結局そこそこ書きたい感じにはなったけど。これらの文章が、もしかしたら何かに使えるかもとか思ったり、思ってなかったり。書くならものにしたいという欲が、あるような、ないような。最近、デジタルの日記(手帳の日記はコツコツみっちり書いている)を書くことについて中途半端な気分。
小説を読むことについてだが、前回、学生の頃は本が読めなかった、人間を俯瞰して描くような小説のことが癪にさわるだとか、普通の学校生活を送ることにすら手一杯な自分を本は馬鹿にしてるような感覚がするだとか書いたけど、なぜそんなふうに小説を煩わしく、自分をたぶらかす悪のように思ったか考えた時に、逆に、今小説が面白いなと思うようになったのは、自分が不真面目になったからだなと気づく。学校も、人間関係も、必死になって模範通りの理想に向かって真面目にいたって、どうにもならないこと、どうしようもなくうまくいかないことの方が多くて、本気になりすぎないほうがいいのだ、と思うようになったので、ひっくり返って小説とか読むのがちょうど良くなった。小説とか読んで、この複雑で思い通りになんて到底ならない人間社会を飄々と、面白く、生きた方がいいよなと。