2024年10月19日(土)
昨晩、23時少し前、東京のアパートに帰宅。
一昨日、山に登った筋肉痛と、昨日その疲れの溜まった体で高速バスに4時間ちょっと揺られた疲労で、今日は偏頭痛と軽い目眩があり、何かしたい気持ちは十分にあったのだけど、結局大人しく家で養生することにした。
朝は7時前に目が覚めて、実家のリズム継続中という感じ。ゆっくりトイレに座ってスッキリしたら、シャワーを浴びて、歯磨きをし、よし!と気合を入れて荷解きと部屋の整頓を始めた。最後にテーブルの埃を拭き取る頃には、とにかくお腹が空いた!という感じで、家にあるもので済ませようかなと思ったけど、お財布に余裕もあったし、バイト出勤前の彼を誘って珈琲館でモーニングすることに決めた。
午前9時。雲の切れ間から覗く太陽の日差しが思った以上に強く、結構あつい。
彼の大学での最近の出来事や人間関係についての愚痴などを聴きながら、ホットドック、サラダ、アイスコーヒーをいただいた。750円。美味しかった。
どうやら天気が予報に反して良さげだったので、帰り道にスーパーで食材の買い物をして帰宅したらすぐに洗濯を回した。メインは彼氏のインナー6日分なのだけど…。
昨晩、彼氏に6日ぶりに再開したら遂に、「しほがいないとダメなんだ僕」とか言い始めてた。
彼はこの前までダイエットに勤しんでおり、食生活にかなり気をつけていたみたいだったけど、私がいなくなったらそれもすぐに崩れてしまったらしい。寂しくて、生活に張り合いがなく、またネットショッピングをする際に、私に「いいんじゃない?」とゴーサインを出してもらえないと購入する決断ができない自分に気付いたとのこと。
など聞いて、「私が帰ってきて嬉しいね。明日からしたいことは?」と彼に尋ねたら、「制作。」とのこと…。美大生よ。私がいてやっと最低限の生活を送れるとのことで、昨日まで下限突破してたんだね、などとお互いの近況を報告し合いながら寝落ちした昨夜であった。
話は変わって、最近私がハマっていることが、お笑い芸人であり小説家である又吉直樹さんのトークを流し聞くことで、今日も洗濯を干しながらきいた。又吉直樹の【渦】というYouTubeチャンネルがおすすめ。やっぱ、芸人さんやからちゃんと笑わせてきておもろいし、趣味の話とか、文学の話とか、夢を叶えるために苦労や努力をした経験談はタメになるし、話すテンポが心地よい。又吉さんの人間的な魅力にどんどん惹かれていって、なんかいいなぁと穏やかな気持ちで耳を傾けてしまう。
10日前からハマってて、きっかけは私が宮沢賢治の作品の朗読をYouTubeで聴き漁っていたらおすすめで、又吉さんの【渦】弱った時こそ宮沢賢治〜宮沢賢治のヤバすぎる言葉の威力!ウンタラカンタラ〜というようなものが出てきたこと。試聴してみて、その1本の動画が私に見事にグサッと刺さったわけだ。
又吉さんの、又吉さんを大人にしてくれた100の名言・迷言とのことだったのだけど、又吉さんがその名言が刺さった瞬間のエピソードをひとつひとつ話すたびに、ありありと情景が目に浮かんでくるので、お話が上手いことや、又吉さんの感受性とか体験の経験値の高さに気付かされて、こいツァ凄いぞ…と直感的にビビッときたわけである。
進んでいろいろ聞くようになって、今日時点での私の又吉さんへのイメージで特に強いのが、高校のサッカー部で1年の時ひとり(又吉さん)だけマジすぎて周囲から浮いていたというバカ真面目(ストイック)で熱い奴っていうのと、お姉ちゃんやお母さんが優しくて、家族に応援してもらえたから大成できたよっていうようなこと。この2つは多分、自分に重なる部分が少しあるから心に残っているのだと思う。
今日はこうやって又吉さんのことが書きたくてPCを開いたのだ。あと、付属して(又吉さんに影響されて)自分も自分の経験からくる現在の自分のポリシーみたいなものを書き留めておきたいなと思って。今回の帰省で感じたことや考えたことも影響してる。ちょっと振り返りつつ話を進める。
…と、ここまで書いて昨晩は活動を終えたのだった。書き始めたのが昼寝から起きてゴロゴロし飽きた17時半ごろで、19時半に冷蔵庫にあったしなびた白菜と、豆腐と、買ってきたえのきを鍋にぶち込んで、醤油、みりん、出汁つゆ、コンソメで煮込んで、豚肉を投入し、最後にマルちゃん正麺のちびまる子の絵のついた生麺(これが美味しくて我らカップルの間で毎年冬に大好評なのだ)を煮込んだら、鍋風ラーメン(ラーメン風鍋?)の出来上がり。それをYouTubeを見ながら(にじさんじ感謝祭が生放送でちょうどやってた)食べて、バイトから帰宅しシャワーから上がってきた彼氏にも食べさせて、ロフトでモンハンを通信し3つくらい狩をこなして、その後なぜかYouTubeで1999年から令和までのヒットソングまとめを1時間もかけて2人で視聴したのだった。
(追記:最近、岩波新書の長田弘さんの「なつかしい時間」という本を読み進めていて、そこに、最近(1998年執筆の文だったかな※追記:1996年執筆でした。6ページから9ページの「大切な風景」という項。)の歌謡曲では風景が歌われなくなった〜心情ばかりを歌う〜(※私のうろ覚え大雑把解釈)というような提言があって、なるほどなぁと思っていたから、そういう観点でも聴いてみた。
確かに2000年になりたての頃はなんか激しい、俺とかあんたとかあたしとか好きとか嫌いとか馬鹿とかそういう曲かなと思った。しかし思うに、平成も終わりに向かう頃になると、また風景を心情描写に上手に用いるような、風景を歌う歌が好まれるようになっていったように感覚的に思う。なんか、あいみょんさんのマリーゴールドとか?米津玄師さんとか藤井風さんとかはそういうイメージ。ごめん、テキトー言ってるわ。あまり音楽には詳しくないのだけど、ちゃんと調べたら面白そうな分野であるからまた関連図書などあれば読みたい。)
2006年あたりの楽曲がキラキラしてて、私たちカップルの物心もしっかりついていた年齢で記憶にあり、盛り上がった。2011年以降の楽曲のチョイスは正直イマイチで、前半と比べてかなり雑な編集だったのが残念だった。とはいえその頃はCDからデータ(?)への移行の時代であったと思うし、同時に水面下でボカロが隆盛を極めはじめていた時であり、自分たちカップルも実際にボカロだったりアニソンだったりゲームの音楽だったりマイナーなバンドだったり、ほとんど世間の音楽シーンとは別の、ネットで各々の関心のある音楽を自発的に聴きあさっていた時期だったので、うP主がスカスカな編集になってしまったのもわかる。多分うちらより年齢が上の人なんやなと思う。時代的に既にその頃の若者は歌番組とかメディアの広告を抜きに音楽を選び聴いていた時期だったので、(すみません、素人がテキトー言うてます。)CDの売り上げでの比較も難しくなったと思うし、ヒットとか流行りとかの基準が立てづらくなったんやと思う。などと、その後も思い思いに自分たちの思春期を飾った音楽たちをYouTubeで聞き漁り、懐古しながら0時ごろまでダラダラ過ごしたのでした。
翌朝7時にまた目が覚めて、寝ぼけた頭のままつい深夜の流れでYouTubeをひらいてしまい、気になったニュースを見たりしてぼーっと1時間ほど過ごしてしまった。水中考古学の話で、福島県の桧原宿の調査について。130年前の火山噴火の影響で水没してしまった村とのこと。ダラダラし飽きて、ロフトから降り、歯磨きをしたり食事をしたままのテーブルを片付け、仕方ないからのんびりお皿洗いなどをし、すっきりした流れでコーヒーを淹れて、日記の続きを書いた。もうすぐ10時。今日はバイトの日、そろそろ出勤せねば。まだ体が凝ってる影響かで弱い頭痛がする。長い1日になりそうだ…。あ〜温泉行きて〜。
そういえばポリシー書こうと思ってたのだけど、また今度にします。いや、一言でいうと、「人は皆、全力で生きている」と、思えば、人にも自分にも優しくなれて、ハッピーだぜ。
てことデス。
またいつか。