2024年8月10日
昨日の夜、19時半頃に東京のアパートに戻ってきた。大苦戦していた夏の集中講義の最終日であった彼氏と駅で再会し、私は彼にお土産のさるぼぼのミニキーホルダー(彼は何やら今さるぼぼにハマっているらしい)を渡して、彼の集中講義の成果を聞きながらゴロゴロとスーツケースを引いて帰った。
やっぱり、まだまだ夏だ。相変わらず東京の夜は暑い。濡れた雑巾を絞るみたいに全身から汗が滲み出て、特に脇や背中や股をベトベトに湿気らせ、不快だ。実家で朝日を浴びながらピーマンと茄子ときゅうりを収穫していた時にかいた汗は、もっとツヤツヤとしていたことを思い出す。肌の上を球になった水晶みたいな汗粒が、ツルッとつたっていったことに驚いて、そうだ、夏にかく汗とはこういうものだったと、中学生の頃の、部活動の記憶などが鮮やかに蘇った。
夜のうちに部屋を整頓しておいたおかげで、今朝はスッキリと1日をスタートさせることができた。実家でかなり健康的な生活を送っていたので頭が冴えていて、今なら難しいことでも簡単にこなせそうだと、ものすごく楽観的で万能感があり、みなぎるやる気を持て余してしまう状況が勿体無いと感じるほどだった。1時間ほど読みかけの本を読み進めて、昨晩の残り物の汁と惣菜を朝ごはんとして食べて、彼がホームセンターに用事があるとのことだったので一緒に出かけた。
2024年8月26日
もっと私のことを、甲斐甲斐しく愛してほしい。と彼氏にお願いしたら、「カイガイ、カイガイ」と言いながら、腕や足を揉んでくれた。思わず笑ってしまう。そうじゃないんだけどなぁ。このやろうと思いながら、また許してしまう。
私のイライラが爆発したきっかけは、いつもよりバイトのシフトが立て込んでいたからか、8月前半の帰省(個展)の疲れや生活のギャップ(田舎を恋しく思う気持ち)があったからか、夏休みだからといってだらしなさすぎる彼氏の生活態度が気に障ったからか、多分全部なのだけど、久々に破壊衝動、希死念慮に脳を支配されて、漫画みたいに体をワナワナと震えさせながら涙をとめどなく流したのが20日と21日の夜のこと。
私はどこへ向かっていて、何になるのか、という期待と不安が渦巻いて、何をしても迷い、焦りがあるような感じ。そんな日が続いていたこともあって、爆発したのかなとも思う。
個展が終わったら、自分に自信がついて、もっと勉強したい気持ち、努力次第で何者にでもなれそうな万能感や、やる気がみなぎって、とにかく本を夢中で読んだり、将来のことを考えたりした。このままフリーターでいいのか、もしかしたら今の自分なら正社員としてもやっていけるんじゃないかと就活のことも考えた。
バイトの傍ら、隙間時間はしぶとく本を読んだ。効率よく脳が働くように、食事や睡眠の質量をコントロールして、その中で食費生活費の節約は忘れず、住居の清潔を保ち、適度に運動やストレッチも欠かさなかった。そんな私の傍らで、好きな時に寝て好きな時に起きて、好きなものを好きな時に好きなだけ食べて、ほぼ一日中床か布団に寝転んでYouTubeを見ながらゲームしてばっかりの、夏休み満喫中の彼氏に、つい苛立ってしまったのは仕方なかったと思う。
21日に9時間のバイトから帰ってきて、連勤ゆえに前日飲み食いしてそのまま寝て、散らかったまま出勤した今朝と何一つ変わっていない部屋に、落胆。(追記:彼氏が片付けてくれてると少しでも期待した自分が馬鹿だった。)一日中布団でダラダラしていただけの彼氏を想像して、お前の清潔への意識低すぎるだろと、呆れ。疲れて帰ってくるだろう私を全く想定しない、図太さ、気の利かなさに、苛立ち。彼氏の脱ぎっぱなしの服の山、彼氏の使い終わった物が出しっぱなしのテーブル、ゴミも片付けず空のペットボトルが何本も床に転がってる惨状を見て、軽蔑。負の感情は体の底で青く燃え盛って、この酷く散らかった部屋を残して自室にこもる彼氏に、静かに怒りのLINEを送った。
22日、23日と連休で、まず22日は、スタート早々カフェで彼氏と喧嘩して、その後プチ家出を決行した。あのやろう、あの惨憺たる生活態度でよく私と対等に話ができると思うよな、それどころか上からものを言うような態度に苛立ち、呆れ、軽蔑、許せなかった。
閉館まで図書館にこもって読書。私が行方不明の間に彼氏は反省したようで、(心配して私を探しに出掛けてくれてたみたい。ありがとうね。)私も図書館でいい本に出会って気持ちを持ち直したので、翌日は仲良く美術館デートなどをした。
出会った本というのは、町田そのこさんの「あなたはここにいなくとも」という短編集で、「おつやのよる」という小説。
親族が勢揃いするような盛大な葬式が、自分にも最近あったわけで、色々あの時のことも鮮明に思い出して、お話も面白いし、笑い泣きしながら読んだ。
私は、ご飯を作る時についでだからと彼氏の分もいつも2人前作るのだけど、その時に、彼氏が美味しいと言ってくれる姿を大抵は想像しながら作るよ。(大抵は。雑な日もあり、たまに文句を言われる。すまん。)洗濯も、彼氏の分もすすんで一緒にするし、それは彼氏が清潔な服を着て、清々しい気持ちでいて欲しいからで、住居もなるべく清潔に保ちたいのは、自分のテリトリーだからっていうのもあるけど、2人で毎日気持ちよく過ごしたいから。私の彼氏への愛は、2人が健康に穏やかに暮らせるように手間をかけること。でもそういう感覚が、彼氏にはないみたい。
彼氏の私への愛ってなんだろう。私が生きてたらいい、みたいな感覚らしいけど、一緒にいる際に、私の機嫌が良かったらラッキーで、悪い時はアンラッキーで治るまで放っておこう、みたいな運任せなの、ちょっと不思議。
私が彼氏に、もっと甲斐甲斐しく私を愛してほしいとお願いしたのは、気の利く人になって欲しいという要望の棘を、最大まで排除した結果の言葉選びであることと、あと、愛ゆえのアクションがもう少しあってもいいんじゃないかなと。つまり、もう少し私に世話を焼いてくれても、嬉しいよ。
好きな人を「大切に思う」ことと、「大切にする」ことの差異というか、愛してるなら、ちゃんと言葉や行為にして、愛を伝えてほしいと思っただけ。かといって重いのは嫌だけど、愛って、干渉し合わなくても、生まれるものなのかと考えて、干渉っていう言葉の意味を調べたら、「自分の意思に従わせようとする」行為を含むということを知って、ドキッとした。やっぱり、勘違いしてはいけない。重要なことは、自分の機嫌は自分で取ること。
もうちょっと彼氏の衣食住に対する意識が上がって、私が気付くより前に、掃除も洗濯もできるようになれば超いいのにね。彼氏は生活がだらしなさすぎるし、私は彼氏に世話を焼きすぎ?尽くしてるつもりはないのだけど、大抵は、気に障って我慢ならないから、放って置けないだけなのだけど。放っておく努力も必要かしら。