自分らしく生きたい

自分の体験が誰かの生活のヒントになったらいいなと思います

海へ

1月30日 海へ

 


今日は始発で逗子海岸へ向かう。

 


昨日の朝、部屋にいることが突然、我慢ならないほどに退屈に感じた。体が窮屈であると訴えて眠れず、どうせなら、と、突然「日の出を見に海にでも行けばよかった」などと、突拍子もない後悔が頭に浮かんだのだった。

 


0時にお腹が空いて、1人でコンビニまで出かけた。家に食材はあったけれど、調理する前にお皿を洗うのが面倒だったから自炊は諦めた。それになんだか、味の濃くて贅沢なコンビニ弁当が食べたい気がした。

 


かれこれ1週間、体調不良で、家で安静にしている時間が多かった。そろそろ生理も、病気の患部の症状も落ち着いてきたというのに、相変わらず体がだるく、心もザワザワと落ち着かないのは、運動不足のせいであると思った。食料調達に運動も兼ねて、家を出た。

 


外の新鮮な空気を吸ったというのに、今日の私にはそれが珍しいことに思えず、退屈で憂鬱な気持ちは続いた。大通りに出て、すっかり人気のなくなった通りを横切ったタクシーを横目に見て、どこか遠くに連れて行って欲しいなどと、平常なら恥ずかしくて憚られるようなドラマティックでロマンチックな展開を、ひとり妄想した。

 


重い足取りのまま遠回りをして、コンビニに入った。鬱々とした気分を振り払うかのように、次々と商品を手に取り、カゴ一杯に買い物をした。

 


よく膨らんだレジ袋を両手にぶら下げて、ぼんやりと家に向かう。ふと、坂の頂上で、チラリと光る何かが目の端を捉えた。月だった。あまりにも大きくて、明るい半月が、西のマンション群の頭上ギリギリに浮かんでいた。

 


私は荷物を下げたまま、月を追いかけた。月は、黄色とオレンジ色を混ぜたような、濃いマスタード色で、高い彩度を放ち、じゅわりと輝いていた。ケチャップをかける前の、ナイフを入れたら半熟卵がとろけだすオムライスか、もしくは出来立て熱々の、ジューシーな餃子のようにも見えた。

 


一度は住宅街に隠れた月を、今度は坂を見下ろした先にもう一度捉え直すと、私はそばにあったバス乗り場の壊れかけた木のベンチに腰掛けて、レジ袋を漁ってスプーンと、ハーゲンダッツの抹茶味のアイスを取り出して、月を眺めながら食べた。わかったことがある。私は今猛烈に、非日常を欲している。今日は、絶対に海に行くべきだ。

 

 

 

深夜2時。今度はワクワクして、気持ちが落ち着かない。私は今日、海に行く。闇夜を切り裂くようにして、真っ直ぐに突き進む、始発の電車に乗って、海に行く。家に着き、旅に出かける準備を始める。興奮の底に、強かな冷静さが流れている。抜け目なくまずカメラと、スマホを充電する。それから、再度絶対に出かけるのだと念を入れるようにして、メイクをバッチリ施した。また、帰ってきた時に清々しい気持ちでいられるよう、ずっと私を億劫にさせていた、流しに溜まったお皿たちを洗った。その流れでゴミを出し、さらに、冷蔵庫で出番を待たせていた食材たちで、帰った時に食べるポトフを作っておいた。お米も炊いた。ヘアアイロンをかけ直して、おそらく朝の海岸は凄まじい寒さであろうから、なるべく暖かい服装を選んで着替えた。身なりを整え終え、最後に荷物を確かめた。旅のおともには、読みかけの小説、食堂かたつむりを持った。

 


部屋を見回す。忘れ物を見つけた。ロフトで寝ている彼だ。何も言わずに出かけようかとも思ったが、出かけてから声を掛けなかったことを後悔するのは嫌だった。彼に海に行ってくると声をかけたら、彼も行くと答えた。その瞬間から、私の今日の旅の目的は最初に思い描いていたものから変わってしまったのだけど、それでも良かった。

 


私は彼のことが大好きだ。彼と一緒に出かけることは、私をまた別の意味でワクワクさせた。一人で行くと思っていた時は、緊張を孕んだ、不安に立ち向かう時のドキドキ感と、決戦前夜の興奮からくるワクワク感。でも彼と行くことが決まってからは、大好きな彼とのプチ旅行が始まる、安心感し浮かれっきった最高潮のワクワク感。今日は絶対に楽しい旅になる。彼に15分時間を与えて、私はその間、再度リュックの中身を確認した。いよいよ旅に出る。

 

 

 

今日の旅の様子は、ブイログで。

 


youtubehttps://youtu.be/FQ4hu-4veow

 

 

 

 

 

 

 


おまけ  憎いほど美しい富士山

 

 

 

 


追記:実はこの次の日、もう一度海に行きました。今度は、一人で。また日記書きます。その前に、メモ程度の日記。家に帰って、ひとねりして起きても、どうしても頭から海が、というか富士山が、離れなかったのです。

 

 

 

 


1月31日

 

 

 

 


でもやっぱり悔しい。快晴の昨日。ただの思いつきで出かけた。海が見たい。それだけだった。正直、海ならば、どんな海でもよかった。だというのに着いてみれば、まさに桃源郷か楽園とでも表現すべき、一点の曇りも濁りもない、眩いばかりの光景が、そこには広がっていた。

 


雲一つない空。地平線いっぱいまで満ち満ちと広がる、宝石のような海。海岸は、まるで目の前に広がる光景のあまりの美しさに立ち止まり、思わず息を止めてしまったかのように、風もなく、波も穏やかだった。

 


海岸沿いから目に映りうる限りの遥向こうまで、遮るものの何一つない、完璧なお天気だった。だから唐突に、始発を逃したことが悔やまれた。この景色の一部始終を見ることに、喉から手が出る思いになった。ああ、きちんと始発に乗れていれば…寄り道せずに向かっていれば…海岸に到着してすぐ、富士山の見えるところまで真っ直ぐに向かっていれば…。お天気があまりにも完璧すぎて、受け取り手の準備不足で、完璧な美を、完全に享受することができなかったことが悔やまれた。様々な要素を兼ね備えた自然界で、全てのコンディションが軒並み高く揃うまたとないチャンスを、目と鼻の先で、みすみす逃してしまったことが悔やまれた。またこのチャンスは訪れるのだろうか。できることなら、リベンジしたい。違う海岸でもいい。憎いほど美しい富士山。