自分らしく生きたい

自分の体験が誰かの生活のヒントになったらいいなと思います

デート 散歩 春が楽しみ 健康な日の日記

 

はじめに

 

2022年7月に上京し、人生初の一人暮らしを謳歌している23歳です。

 

月経前症候群を少しでも克服するために、その日の調子を振り返った日記をつけています。

 

自分の身体と心をもっと理解したいです。

 

#日記 #月経前症候群 #フリーター 

 

 

 

 


午前7時。やけに早く目が覚めた。昨日の時点では、今日は早くとも目覚めは午前10時の予定だったのだが。

 


昨晩は、晩ごはんを取り終えてからすぐ4時間ほど日記の加筆をし、午前2時ごろに投稿&就寝した。本日の18時から22時という変則的なシフトに合わせて、今朝はたっぷりと日が昇ってから目覚めて、前日晩に彼から提案されて予定していたカフェでのお茶を済ませたら、その足で仕事先へ向かうという段取りを立てていた。

 


二度寝をするにも、まずお腹が減っているような気がした。それと、今日はゴミの日であることに(7時59分に)気づき、大慌てで布団から抜け出すこととなった。手早くゴミをまとめ外に出た足で、そのまま朝食を取ることにした。

 


朝食をとりながら、お気に入りの音楽をズンチャカ流していると、部屋に彼がやってきた。そのノリでカラオケに行こうかと、彼から提案を受けた。もちろん大大大賛成である。今夜の、催事の売り子バイトを視野に、いつもより濃いめにメイクを施して、予定よりも早く家を出た。

 


最近仕入れたお気に入りの曲(私の1番かわいいところ・可愛くてごめん・Chu多様性・フォニイ・結束バンドなど)をメインに、2時間のカラオケを存分に楽しんだ。帰り道は、成人の日の祝日ということで、人に溢れ大変混雑した商店街を通る中でカフェは諦めて、下町のお弁当屋さんで手作り弁当(おそろいの五目丼)を購入し、家に帰って食べることにした。いよいよ本日のデートも終盤というところで、彼の突然の思いつきで近くのジェラート屋さんに初めて入ることになった。なんとも見た目の可愛らしい、味も美味しい素敵なスイーツを最後にいただき、今日は、なんだか思いがけず最高のデートとなった。購入したお弁当もとても美味しく、1時間ほどの仮眠を済ませると、今度は出勤のために、再び家を出た。

 


本日は夕焼け空も大変美しく、あと15分ほど早く家を出て、出勤前の散歩ができたら最高だったろうにと若干の悔しさを感じつつも、カメラを片手に駅まで気持ちよく歩いた。特に、上野公園の噴水周りで、人々が思い思いに寛いでいる様子がよかった。ギターを片手に持ち、耳を澄ませばどうやらスピッツの曲を奏で口ずさんでいる者もいたりした。

 


上野公園の大広場は、その空間の開放感と真っさらに舗装された大地が、よく空模様を反映させていた。遠近法の影響もあるのだろう、ここでの人々の喧騒は、まるで空模様の一部になるかのように、大気や空に自然とよく溶け込んだ。同じく遠近法の影響を受けてか、実際にここでの雑踏は、スローモーションがかって見える。それらがこの場所特有の、ゆったりとした時間と空間の流れを作り出している。

 


私は上野公園を通るたびに、そのたっぷりとした時間と空間の流れを楽しむ傍に、この場所がこれまで見てきた、またこれから見るであろう歴史のようなものを妄想した。私の妄想だと、ここには凱旋門がある。人々の熱狂が渦巻いたパレードが、ここで狂喜乱舞に執り行われたりする。また反対に、戦災や自然災害が起きた際にもここに人々は集まり、その時には怒りや不安や悲しみといった負の感情がここに渦巻くのだ。そしてどんな種類であれ渦巻いた人間の感情は、頭上に広がる空へとひとまとめに昇って、それらは次第に大気に溶け込んでいく。この広間は、人間には消化しきれない有り余ったエネルギーを、人間の知らぬまに取り込んでくれていて、人々が再び心に平穏を保つことを助ける役割を担ってくれているのだ…。

 


(願わくば)いつまでも変わらぬ姿で、空、大地、大気を体現するこの大広間は、人々に日々の喧騒を超越させ、安らいだ心を与える。佇む凱旋門は(実際にはないけど私の妄想にはある)安らいだことで心に余裕のできた人々に、人間の歴史を思い起こさせたり、人間とは何かと静かに問いかけたりするのだった…。

 


このように、大変高価であろう東京の土地を贅沢に使った、大都会の公園は、私に時空を超えた妄想の楽しみを与えているのだった。

 


溌剌と仕事をこなして、23時ごろ帰宅した。

 

 

 

1月9日

 


お昼の12時ごろ起床。なんやらかんやらしているうちに夕暮れ時となる。いつもの通り散歩に出かける。

 


昨日と同じくらい、今日も夕焼けが美しかった。今日は、昨日よりもコントラストの強い、燃えるようなオレンジ色が西の空を彩っていた。

 


霊園を通ると、こちらに覆い被さるようにして枝を伸ばした大きな桜の木のが、夕焼け空に影絵のように写った。よく見ると、枝の先にはたくさんの硬い新芽の蕾が力強く実っていた。

 


ああ春が楽しみだ。私は今年、東京で迎える春を、心から楽しみに待ってる。私は東京の、自然や四季が人々の生活の中に慎ましくも重々と添えられた、独特の風情を持って存在する、特別な感じが好きだった。私の住んでいる街に寺が多く、古い樹が寺に多いからそういう風情を感じるのかも知れない。それから、私にとって、これまでの春は辛いことが多かった。去年は母が他界した。その前は3度も受験に落ちているので、春といえば悔しさや悲しさに唇を噛み締める辛い季節だった。

 


彼と別れたり、離れ離れになったのも春だった。春は、悲しみのどん底にいる惨めで最悪な私を、せめてその暖かさと美しさで、そっと慰めてくれた。全ての辛い事件が春に起こったことは、せめてもの救いだったのかもしれない。

 


だから私は今年、特別に辛いことが何もなく迎える春を、また彼と迎える初めての春を、特別に心待ちにしている。きっと今までで1番、明るい春になるだろう。